がん告知から入院まで
2007年7月4日の日記 ガン発見からの次から次に仕事をこなしていた。 何と何をやらなければ後が困るという事で仕事をこなしていった。 とにかく残された者が困らないようにと・・・・・・・ 兄は 子供は3人。それぞれ独立。 孫4人。 二つの会社を経営。息子が一緒に経営に携わっています。 ガン発見までの兄の生活は仕事ひとすじ! 仕事に情熱を持っていたのです。7月6日記 会社の書類、資料等整理整頓をした。 この10数年間入れっ放しになっているのが随分ある。 過去の物で現在使われていない物は勿論、 自分の表彰状、感謝状なども全て捨てた。 後に残された者が必要な書類を見つける時、すぐに見つかるように整理整頓した。 全体の7割ぐらい捨て、残り3割が必要な書類だった。 随分、戸棚の中がスッキリした。 後に残された者が困らないようにするのが俺の役目だと思った。7月7日記 知り合いの写真館に行って写真を撮って来た。 妻と子供と孫達と一緒に。 いざという時困らないという事で・・・・・ 葬式の時の飾る遺影を。 まあ、これで飾るのが出来た。 こういうのを言うと 皆はそこまで考えなくても、死ぬことばっかし考えなくても と言う。 それは俺にとって 死ぬ事ではない。 俺にとってみんなと永遠に接点が持てる姿なのだから・・・・ 全然、寂しさとか、悲しさとか、 そういう、打ちしがれた中での写真ではなくて、 こんないいもの残せるよ。嬉しいな。 とそんな感じだった。 人は何でこんなに悪くなるまで分からなかった、 最悪だね、本当に大変だね・・・・・ と 言うかもしれない。 けれども、俺にとっては最高によい時に病気になったのだ。 なぜなら・・・・ もし早期発見で3年前にガンが発見されたなら・・・・ 妻も3年前 大病で10時間にわたる手術をしたばかりだ。 (自分の病気と俺の病気の両方だと大変な事だった。) 息子はまだ半人前だった。 (ここ2、3年で急速に成長してきた。) 母親も健在だった。(2006年10月大往生) (親は俺が今のような状態だったら、心配し、気が狂う程だったろう。) みんな大変苦労しただろう。 今、みんなが最高の状態の中で俺のガンが発見された。 末期ガンだけれども、そんなのどっちでもいい。 人間一度は死ぬのだから。 それよりも、 みんなが幸せな時、みんなの環境が整った時。このガンが発見された事。 これが有難いのだ。 俺は30年来の高血圧だ。 今日は大丈夫かな? もしかしたら突然ぶっ倒れて、半身不随になったら困るなあ? くも膜下出血になったら困るなあ? 毎日のように頭の片隅に その思いはあった。 今度はガンではっきりしたら、そういう症状は医者に罹るわけだから、 ガンになったお蔭で持病の方も診てもらえるので、より生きられる確率が出てきた。 確実に明日は不安でない。生きられる日だ。 少なくとも余命3ヶ月ということは 3ヶ月間の命が保障されたようなものだ。 これは有難い! この間にしたい事をし、みんなに伝えたい事を伝える こんないいことはないと思う。 本当に平穏な毎日である。 仕事を教えるのが忙しかったけど、 それは悲壮感に捉えたことではなく、 俺は死ぬのかという認識があるけれど、 怖いとか、困ったとかひとつもない。 自分でも不思議なくらいひとつもない。 俺は幸せだ。今、ガンが発見され、末期ガンだけど それでも幸せだなあ。 俺は本当に恵まれているなあ。 こんなに恵まれて、今病気が出たという事 これは有難いなあ。 治ってもよし、治らなくてもよし、 全て神の御心のままに一日一日精一杯生きよう! 以上が 兄の 大学病院の入院までの10日間の生活と心境です。普通、ガンと宣告されたら恐怖心が出て、仕事どころではなくなると思いますが・・・・この文章を読んだ人の中には、 兄が自分の不安、恐怖を知られたくないために虚勢を張っているのではないか? うそ!死に対して恐怖がないことなど考えられない!信じられない! などと考える人がいると思います。でも、これは偽りのない、兄の気持ちです。兄から話を聞いて、兄の本当の気持ち、心境がビンビンと伝わってくるのです。 兄がこれからどのような生き方をするのか非常に興味?があります。 普通は周りの人間がガン患者を助け、闘病生活を支えていくのですが、反対に健康な家族や私達が元気をもらい、一日一日の生き方を考えされらています。