Osちゃん写真/でかい続き/ルーツ (母の場合)2
おかしな アネマジロ・ワールドへ いらっしゃいませ♪お待たせしましたぁ。Osmanthusさんから 許可を頂きましたので 載せちゃいます。かわいいでしょ?彼女と会った時の日記は 二人オフ会,To Narita, Othumanthus , From Naritaをご参照下さいませ♪昨日分にも 沢山のコメント有難う御座います。必ずお返事を書き込むようにしています。ご覧下さいね。また 他の方の書き込みも いろいろな話題が出ますので面白いですよ。是非 ご覧下さい。そして 初めていらした方々へ。アネマジロ日記 は コメント命です (笑)必ず日記とセットで読んで下さいませ♪読まないと 話が見えなくなりますです。。。ここのところ でかいシリーズで書いている。もともとは ギリシアの話から派生したのだが・・・。この日のコメントあたりから 始まりました → 弟アルマジロの入院のおもひでとりあえず 前に書いた日記の中の でかい をば。こちらは 嫌いな でかい である。(昨日のコメントにも貼りました)シンガポールの裏事情シンガポールの裏事情2ほかにも 嫌いな でかい がある。これは サメ。昔、日本テレビ系列で 知られざる世界 というドキュメンタリーがあった。海洋生物学者の ジャック・クストー氏が 良く出ていた。この方の著書があったので 読んだのだが その中で 鱶(フカ)の話がある。5m以上のサメの話で 夜に海の底から 海表まであがるらしいというので それを生け捕りにしようと試みるのである。 しかけは 太い竹を束ねたものを浮にして 特製の針をつける。餌は 大きな魚を数匹 つけていたと思う。それを うなぎの延縄のように 仕掛けておいたのである。翌日 行って見ると その浮の一つが 沈んでいる。明らかに かかっている。クストー氏 みずから 潜ってそれを確認しに行く。彼が見たものは。。。大きなフカがかかっていた。ところが 彼が見て もっと驚いた事がある。その大きなフカは 頭部分だけで3m近い。それが 何者かによって 一口でバックリと食われていたというのである。(つまり そいつより何倍もでかいのがいるってことね)そのまま 揚げてしまって 船員がパニックになり 作業をしてくれなくなったら困る。そう判断をした彼は それを海中で切り落としたのだそうな。この話を読んで アネマジロは 海がとてつもなく怖くなったのであった。もっとも 視力は弱いし、水泳部と言っても体力がない。海に潜れる要素は 皆無に等しい。アネマジロの水泳部時代は 悲惨であった。器用貧乏は このころ既に始まっている。小学生で始めているが まだバタフライの競技が始まったばかり。たまたま泳げたアネマジロは その年に始まった競技に出された。たった一人で泳がされた!!さらしもの状態。おかげさまで 記録保持者であった。。。(1年間だけ)中学になると 個人メドレーと 1800mの長距離である。この1800m たったの3人で泳いだ!当然 上位入賞である。この頃からなんでも屋であったが、リレーのアンカーで 20mくらい追い上げてタッチで勝ったなんてのは 面白かったね。皆も楽しんだようだったし。。。まあ その長距離の練習(というより 毎日20kmくらい泳いでいたのか?)で 左肩の靭帯がゆるんで 抜けかかったことはある。これだけやりゃー 体力がない と言えないような気がするのだけれど そうでは無いと自覚する出来事があった。海に行った時である。腰ぐらいのところで 海岸に水平に泳いでいたのだが、そこで すっくと 立ち上がった瞬間。。。。。波にサラワレタ・・・我ながらショックであった。ちなみに 水泳部と ブラスバンド部を掛け持ちしておりました。ブラスバンドでは クラリネット(数日)フルート(数ヶ月)トランペット(数年)をやっておりましたね。先日 誕生日の定期検診の時に ピロリ菌の検査をした。この検査は 呼気で検査をする方法で 最初に小さい袋に息を吐き出して採取、薬を飲んで5分横になり20分座って待ち、その後再度採取する。結果は 2.5以下が正常値に対して 7.4!ピロリ菌が ご在宅であった。その日から 1週間朝・夕に各5錠の薬を飲む。他の薬もあったので 薬だけで ご飯のような状態だった(;;)通常は またすぐ検査をするのだろうが アネマジロは 症状でもでたら ということになった。反応が出たという事で 皆さんにご心配を頂いた。言葉が足りなくてすみません。その時に1週間の処方で出た薬が 抗生物質で それを飲めば 死滅するという事になっているようだ。再検査というのは その結果どうなったか を調べるという事。これが 何か症状が出てからでいい という話になったのである。ちょっと時間をあけてしまって 皆さんに期待を持たせているようで。。。何故かというと 微妙な話を書こうとしているので 書き方に戸惑いがあるもので。お気づきのように ルーツ(母の場合)2にあたる内容である。弟の結婚式の時に 母方の伯父伯母が関東に出てきてくれた。今から 19年前である。こちらで 彼らを見たのは それが最後。そして 全員揃って会えたのも それが最後であった。アネマジロは ゆえあって 小学生の頃から 慢性胃炎。お腹が痛くない時がなかった。それは 20代もずっと続く。潰瘍になったという診断も受けたが 胃カメラを飲んだ時には 跡は無いと言われた。最近は 腹も据わったのか 胃が痛いという事は ほとんど無くなったが たまに ひどくなると 胃痙攣のようになってしまう。まあ 普通に それなら気にもならない。神経性のものだという事は 自分でよくわかっているから。母方で血の繋がっている方というのは 従姉妹達以外は もう 母の一番上の姉 と 末っ子の母だけである。祖母から 始まって 他の伯父2人と伯母が 亡くなってしまった。もう お気づきの方がいらっしゃるだろう。そう 彼らは 癌だったのである。3親等以内に4人も。アネマジロは 現在の状況で 簡単に死ぬわけには行かないので 今回 ついでに 調べていただいたのだった。素晴らしい伯父伯母だった。その思い出を書こうと思う。このきっかけを下さったのは スピッツのチャーさんの29日の日記である。癌の患者さんやご家族の方は 私達の話は いい結果ではないので 読まれない方が良いかもしれない。心構えの一つとして 読まれるには ヒントもあると思う。ちょっと重くなる可能性もあるので その間に pink0107さんの30日の日記にヒントを頂いたので それで思い出した 幼少時代のお馬鹿なアネマジロを またまた告白することに致します。まずは 彼女の日記を見て アネマジロがしでかした事を ご想像下さい。あ~~ なっちゃんママさんの30日の日記でヒント 見つけちゃったぁ・・・・また 盛り沢山の長文になっちゃう。。。自分で書いていて どこが受けているのか良く判らない。「ここが 面白かった!」なんてとこがあったら書いて 書いて~♪ ⇒