Simon & Garfunkel「Bridge Over Troubled Water」
1991年4月25日(木)、私は13時間の空の旅をおえてジョン・F.ケネディ国際空港に初めておりたちました。バスは、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルのホームタウンであるクイーンズ区をぬけ、マンハッタンにむけてイースト・リバーをこえるクイーンズボロ・ブリッジにさしかかります。♪Like a bridge over trouble water♪I will lay me down♪Like a bridge over trouble water♪I will lay me down「Bridge Over Troubled Water」のリフレインが、私のなかで鳴っていました。私は、昼も夜も、あこがれのニューヨークを歩きまわりました。近代美術館、自由の女神、アポロ劇場、エンパイア・ステート・ビル、メトロポリタン美術館、ティファニー、ナイトクラブ、セントラル・パーク、ヴィレッジ・ゲイト、マジェスティック・シアター。4月30日(火)には、グランド・ハイアット・ニューヨークを出て、地下鉄でウォール街まで南下し、ウォーターフロントのピア17へ。3階のリバティ・カフェで、ロブスター料理とモエ・エ・シャンドンのシャンパンを楽しみながら、ブルックリン・ブリッジや世界貿易センターのツインタワーをながめていました。私は、ポール・サイモンの歌に導かれて、ニューヨークにやってきたのでした。今回は、ニューヨークの思い出とともに、ポール・サイモンが「Bridge Over Troubled Water」を生み出すまでの道のりをたどってみたいと思います。ポール・サイモンは、1941年10月31日にニュージャージー州ニューアークで誕生し、まもなくニューヨーク市クイーンズ区キュー・ガーデン・ヒルズに移転しました。父はウッド・ベース奏者、母は学校教師という中流のユダヤ人の家庭に育ちました。近所に住む同い年のアート・ガーファンクルとは1953年6月、小学校の卒業記念の学芸会の出し物『不思議の国のアリス』で共演して仲良くなります。1954年、エルヴィス・プレスリーの音楽に衝撃を受けたふたりは、チームを組んで音楽活動を開始。さらに、エヴァリー・ブラザーズの影響を受けたふたりは1957年、トム&ジェリーとしてデビュー。11月、最初のシングル「Hey,Schoolgirl」がヒット・チャート第49位にランク。しかし、続くシングルはヒットせず、エルヴィスの入隊でロックンロールは下火となり、ふたりは学業の道に戻ります。しかし、音楽家への道をあきらめきれないポール・サイモンは、当時のヒット曲の発信地ブリル・ビルディングに出入りし、プロの音楽家としての経験を積んでいきます。1962年にボブ・ディランがデビューすると、これに共鳴したふたりは1963年9月、再びチームを組んでフォーク・ミュージックに取り組み、グリニッチ・ヴィレッジのクラブ、ガーズ・フォーク・シティに出演。これがコロンビアレコードのプロデューサー、トム・ウィルソンの目にとまり、1964年10月、サイモン&ガーファンクルは「Sound of Silence」をふくむアルバム『Wednesday Morning, 3AM』で再デビュー。この間、ポール・サイモンは、パリ、ロンドンをはじめヨーロッパ各地のフォーク・クラブに出演。1965年、ボストンのハーバード大学の学生の間で「Sound of Silence」が評判を呼んでいるとの連絡を受けたトム・ウィルソンは、1965年6月にボブ・ディランが発表した『Highway 61 Revisited』でフォーク・ロックを生み出したバンドの演奏をアコースティック・バージョンの「Sound of Silence」にダビングして発売したところ、1966年1月には見事、ヒット・チャート第1位に…♪And in the naked light I saw♪Ten thousand people maybe more♪People talking without speaking♪People hearing without listening♪People writing songs that voices never share♪And no one dare♪Disturb the sound of silence(そして裸電球のあかりのなかに僕は 1万人か、それ以上の人々の姿を見た気がした 彼らはしゃべってはいるが何も語っていない 相手の声はきいているが何も理解していない 決して歌われることのない歌をつくっていた そして誰も 沈黙の音をやぶる勇気をもっていなかった)「Sound of Silence」のヒットを受けて1966年1月に発表した2作めのアルバム『Sound of Silence』は、ヨーロッパでのソロ活動でうたっていた曲をフォーク・ロックにアレンジしたもの。つづいて1966年10月に発表した3作めのアルバム『Parsley, Sage, Rosemary, And Thyme』にも、ヨーロッパでの体験をもとにした歌を収録。ただし、『Sound of Silence』と『Parsley, Sage, Rosemary, And Thyme』をくらべると、『Sound of Silence』には、自己の内面にとじこもるようなひきこもりの歌が多いのに対して、『Parsley, Sage, Rosemary, And Thyme』では、「Life, I love you(人生よ、君が好きだ)」とうたう「The 56th Street Bridge Song(Feelin’ Groovy)」きよしこの夜のメロディを背景にアメリカの悲しいニュースを淡々と読みつづける「7 O’clock News / Silent Night」など、ポール・サイモンの視点が自己意識(内面)から外の世界へと転じつつあるように感じられます。それは、「Sound of Silence」という歌が聴衆に受け入れられたことに対する自信にもとづくのかもしれません。ふたりは、1967年6月16日、サンフランシスコのフラワー・チルドレンのSummer of Loveの発端となるMonterey International Pop Festivalにイーストコーストを代表するミュージシャンとして登場。ギター1本で「Feelin’ Groovy」をうたい、聴衆を魅了します。1968年4月に発表した『Bookends』では、ポール・サイモンは、ロンドンで出会った恋人キャシーとともにアメリカをみつめる旅に出かけます。この旅は、実際には1964年の秋に行われたのですが、その体験が作品として昇華されるまでには4年の歳月が必要でした。ポール・サイモンは、このとき、ありのままのアメリカを受け入れたのでした。そのころ、サイモン&ガーファンクルの代表作と新曲「Mrs.Robinson」をサウンド・トラックに起用したマイク・ニコルズ監督の映画『The Graduate(卒業)』が大ヒット。サイモン&ガーファンクルは、最高のときをむかえていました。ポール・サイモンは、16歳でロックンロールのヒット・ソングをつくりながら、夢やぶれて内向し、その思いを言葉として研ぎすませてきました。その言葉が聴衆に支持されるようになると、言葉を詩人の内面から外の世界へとむけていきました。このようなポール・サイモンのアメリカとの対話を経て、「Bridge Over Troubled Water」は、1970年1月に発表されました。♪When you’re down and out,♪When you’re on the street,♪When evening falls so hard♪I will comfort you.♪I’ll take your part.♪When darkness comes♪And pain is all around,♪Like a bridge over trouble water♪I will lay me downラリー・ネクテルの力強いピアノをバックにうたうアート・ガーファンクルの絶唱をきいていると、Youとはアメリカのことを指しているように、受けとれます。サウンドも、ロックンロールのルーツであるゴスペル・ミュージックに回帰。この歌は早速、1970年8月のエルヴィス・プレスリーのラスベガスのホテルでのショーや、1971年2月のアレサ・フランクリンのフィルモア・ウエストでのライヴで取りあげられます。それから30年後の2001年9月21日、「Bridge Over Troubled Water」は、ふたたび時代と出会います。9月11日の同時多発テロのとき、被害者を救出するために世界貿易センターへむかい、殉職した350人の消防士と70人の警官ら、ヒーローをたたえようと、ニューヨーク時間の午後9時から2時間にわたって世界150カ国に衛星中継されたテレビ・プログラム『AMERICA:A TRIBUTE TO HIROES』。最後に、ふたつのアメリカ讃歌「God Bless America」「America The Beautiful」がうたわれる前に、ポール・サイモンは登場し、みずからのギターを伴奏に「Bridge Over Troubled Water」を静かにうたいはじめます。歌は、あのリフレインの部分にさしかかります。♪Like a bridge over trouble water♪………………………♪Like a bridge over trouble water♪………………………ポール・サイモンは「I will lay me down」というフレーズを沈黙で通しました。とても悲しく、リアリティのある鎮魂歌でした。 「Homeward Bound」「The Sound of Silence」「The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」(1967年6月16日、Monterey International Pop Festival)「America」(1970年5月1日、The Olympia, Paris)「Bridge Over Troubled Water」(1969年)