Michael Mann『ALI』
昨年末に見た映画の余韻が、いつまでも続いています。映画は、時代を、このように表現できるのだとおどろき、あの時代だからこそ、このように映画で表現できたのかもしれないとも、おもいました。映画は、ナイトクラブのMCが「How about Sam Cooke!」とアナウンスする声で、はじまります。スポットライトをあびた後ろ姿のサムが「How are you doing out there? Feel all right」と何度も呼びかけると、観客は「Yeah!」。サムは「Don’t fight the feeling」と歌いはじめます。スクリーンには、夜の街をジョギングする黒人の青年の姿が映し出されます。マイアミ・ビーチのジムで、ボクシングのトレーニングをする青年、リストンが挑戦者を倒したシーン、キリストを描く父親の絵筆を見つめる青年、バスの黒人専用席で、リンチで殺された、目をくりぬかれた黒人の顔写真を掲載した新聞を見つめる黒人の少年、「正義は自ら勝ち取るのです。南部でも北部でも、暴力に耐えろとは説いてない。そうは説かない。イライジャ・ムハマドは言っている。『アフリカ系アメリカ人の誇りをもって生きろ』と。だれかが皆さんに暴力を振るったら、『暴力を振るえないように思い知らせろ。もう絶対に』と」マルコムXのスピーチを壁にもたれて聞く青年……ギターとシンバルがトレモロを奏でるなか、青年の心のなかのイメージが次々と現われると、サムは「Bring It On Home To Me」を歌いはじめます。22歳の青年は、スパーリングを終えると、試合会場に向かいます。ローブに着替えた青年は、計量検査で王者を目にすると「Liston, You are not the champion! Float like abutterfly, sting like a bee!!!」(リストン、お前は、王者ではない。蝶のように舞い、蜂のように刺す)と言葉で挑発します。「挑戦者カシアス・クレイ210.5ポンド! 世界王者ソニー・リストン218ポンド!」。計量結果がアナウンスされると、クレイは再び、言葉を機関銃のように繰り出して、リストンを挑発し続けます。控え室でクレイが手にテーピングをしていると、マルコムXが現われます。部屋の隅でアラーに祈りをささげる二人。そして、1964年2月25日、マイアミでの世界ヘビー級チャンピンシップ、ソニー・リストンVSカシアス・クレイのゴング! 胸に右ストレートをあびると、クレイは、左のジャブでリストンを挑発します。第1ラウンド終了のゴングが鳴っても感情的になって攻撃を続けるリストン。第2ラウンド、チャンピオンのパンチを軽々とかわすクレイ。第3ラウンド、クレイのワン・ツー・パンチに左目の下を切るチャンピオン。第4ラウンド、劣勢を挽回するためにリストンがグローブに塗った薬が目に入り、目が見えなくなったクレイは、第5ラウンドは防戦一方に。第6ラウンド、復活したクレイの左が炸裂し、今度はチャンピオンが防戦一方に。第7ラウンドを前に、マウスピースを吐き出し、試合を放棄するチャンピオン。勝ったクレイは、リングでサム・クックを抱きしめ、「世界一グレートなロックンロール・シンガー」と呼びました。テレビ画面を見つめるネイション・オブ・イスラム教団(黒人イスラム教団)のイライジャ・ムハマド尊師。試合を終えて、マルコムXの滞在するモーテルでの祝賀パーティでくつろぐカシアスとサム・クック。ハーレムをマルコムXと歩きながら、自分は「弱者を味方にする王者になる。民衆の王者になる」と宣言するクレイ。世界チャンピオンになったことを評価され、イライジャ・ムハマド尊師から「Muhammad Ali」の名を贈られます。すべては、ここから、はじまったのです。アフリカ系アメリカ人の3人のスターが、お互いを鼓舞し、一緒に喜びを分かちあった歴史的瞬間。リストンとの試合は、アメリカでスターの座を獲得したばかりのビートルズも観戦していて、クレイがジョン・レノンと交わした会話をガールフレンドに伝える場面も描かれます。アフリカ系アメリカ人の戦いの歴史に現われた一瞬の光。しかし、映画は、その光が、周囲(アメリカ合衆国)からの圧力で、だんだんと輝きを失っていく様子を見つめていきます。このころ、すでにイライジャ・ムハマド尊師との意見の対立から停職処分を受けていたマルコムXは、メッカでの体験を経て、ネイション・オブ・イスラム教団と袂を分かち、新しいアフリカ系アメリカ人の統一組織を立ち上げますが、アメリカでは常にネイション・オブ・イスラム教団員に命を狙われていました。映画では、モハメド・アリが、アフリカのガーナで、マルコムXと再会し、メッカでの体験談に耳を傾けた後、尊師と口論したマルコムXを非難して、別れる場面が描かれます。そして、マーティン・ルーサー・キング博士と会談するマルコムXがテレビ画面に映し出された後、マルコムXはハーレムのオーデュボーン・ボールルームでの講演会で撃ち殺されてしまいます。1965年2月21日の日曜日、39歳での死。クルマを運転中、マルコムXが殺されたニュースを聞き、涙を流し、拳をハンドルに何度も打ちつけるアリ。スクリーンには、サム・クックの名曲「A Change Is Gonna Come」が流れます。映画には描かれませんが、サム・クックも1964年12月11日、ロサンゼルスのモーテルで射殺。33歳でした。「A Change Is Gonna Come」Written by Sam Cooke♪I was born by the river in a little tent, and oh(僕は川沿いの小さなテントで生まれた)♪just like that river I’ve been running ever since(それから川の流れのように走り続けている)♪It’s been a long time coming, but I know(それは長い年月だったけど)♪A change is gonna come, oh yes it will(いつか変化は訪れる)♪Then I go to my brother(ブラザーのところへ行って)♪and I say”Brother, help me please”(助けを求めても)♪But he winds up knocking me(僕は拒絶されて)♪back down on my knees(がっくりと膝をつく)ここから、サム・クックとマルコムXの魂を引き継いだモハメド・アリの、孤独な戦いが始まります。ソニー・リストンを再び倒し、美しい妻ソンジーとは1年足らずで別れたアリに1966年、徴兵令状が届けられます。アリには、以前、徴兵検査に不合格になった経緯がありました。それが今回は、能力を試験しないまま、甲種合格になったことに、意図的なものを感じたアリは、1967年4月28日、徴兵を拒否。「ベトコンと戦う理由なんてない。彼らは俺を“ニガー”と呼ばないぞ。別の貧しい人々を殺すなんて冗談じゃない。ここで政府と戦って死ぬ。敵は、ベトコンや日本人じゃない。アメリカ合衆国政府こそ自由の敵、正義の敵、平等の敵だ。国のために戦え? 俺の権利を認めてもいないくせに、露骨に差別しているだろ」と批判を続けますが、国家への反逆罪で起訴され、6月には有罪(懲役5年と罰金1万ドル)となり、タイトルとボクシング・ライセンスを剥奪され、パスポートも取りあげられて、試合への道を断たれてしまいます。そうしたなか、アリは、幼なじみのイスラム・パン屋の娘ベリンダと再会し、結婚、子供が生まれます。テレビでは、混迷するヴェトナム戦争に反対して学生たちが投石する映像が流れています。突然の銃弾音は、1968年4月4日、メンフィスのモーテルのバルコニーでのマーティン・ルーサー・キング博士の暗殺。享年39歳。キング博士の暗殺に抗議して、夜のまちに暴動がひろがる様子を遠くから見つめるアリ。イライジャ・ムハマド尊師から、信仰生活も禁じられてしまいます。しかし、ABCテレビでのスポーツ・ジャーナリストのハワード・コーセルとの対談を契機に、世論の支持を得て、1970年10月26日、ジョージア州アトランタでの世界ヘビー級3位のジェリー・クォーリーとの試合に第3ラウンド終了後TKO勝ちし、リングに復帰。 1971年3月8日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのジョー・フレイジャーとの戦いはアリの判定負けに終わりますが、6月28日、アリは、最高裁判決で無罪を勝ち取り、自由の身になります。1973年1月22日、ジャマイカのキングストンで、アリが再戦を望んだフレイジャーは、ジョージ・フォアマンに第2ラウンドでKOされてしまい、アリは、アフリカのザイールのキンシャサで、フォアマンとの試合に挑むことになります。キンシャサの空港にアリが到着すると、「ア~リ、ボンバイエ」(アリ、やつを倒せ)の大合唱。キンシャサの町をジョギングすると、子供たちがアリと一緒に走ります。アリは、民家の壁に、戦車や爆撃機と戦い、勝利するアリの姿を描いた絵を見つけ、人々のアリへの思いを感じます。アリは、アフリカの人々の力を得て、よみがえりつつありました。しかし、試合の大方の予想は、フォアマンの圧勝であり、32歳のアリは、この試合で殺されるというものでした。試合のゆくえを悲観した妻が、子供の看病のためにシカゴに戻ってしまうと、アリは、ドン・キングと一緒に来ていた美しい混血女性ベロニカ・ポルシェに惹かれていきます。1974年9月20日・21日の2日間にわたって、前夜祭のコンサートが始まります。ステージには、地元ザイールのリンガラ・ミュージックのバンドのほか、アメリカからも多数の黒人ミュージシャンが出演。大西洋をはさんで、それぞれの歴史を刻んできた、ブラック・ミュージックの交流です。スピナーズ、クルセーダーズ、B・B・キング、ポインター・シスターズ、ジェームズ・ブラウン、ファニア・オールスターズ……。フォアマンがスパーリング中に目の上を負傷したため、試合は、10月30日に延期して開催。ローブをまとって、スタジアムのリングに向かうアリに、キンシャサの観客は「ア~リ、ボンバイエ」の大合唱。おくれて登場するフォアマン。第1ラウンドを戦ったアリは、「脚が重い。空気も水中のようだ。」と、アフリカの気候のなかで戦うことの難しさを実感し、無尽蔵とも思われるフォアマンの体力を消耗させる作戦に切り換えます。第2ラウンド、ロープを背負って、フォアマンに打たせるアリ。パンチが当たり、朦朧となりながらも、言葉ではフォアマンを挑発し続けます。「あれで全力なのか!強打が自慢なんだろ! 全然、効いてないぞ! もっと強く打ってみろ!」。アリは、観客に声援をうながします。「ア~リ、ボンバイエ」。第3ラウンド、第4ラウンド、第5ラウンド、第6ラウンド、第7ラウンド、ロープを背負い、フォアマンを挑発し続けます。「まるで女みたいなパンチだ! あと3ラウンドもつか! 今のが強打か!」。第8ラウンド残り30秒、パンチを打ち疲れたフォアマンを見定めると、攻撃に転じたアリは、フォアマンのアゴに左右のパンチを直撃。大木のように倒れるフォアマンの身体。フォアマンは、辛うじて立ちあがったものの、レフェリーはカウント・アウト。モハメド・アリ、1967年に、試合に負けることなく不当に剥奪されたタイトルを、7年の孤独な戦いに耐えて、奪還! リングにしゃがみこんだアリが、再び立ちあがると、雷が轟き、雨が降りはじめ、大歓声に包まれるスタジアム。歓喜する観客に、両腕を高々と上げて、こたえるアリ。Muhammad Ali vs George Foreman私は、しばらく、この時代のアフリカ系アメリカ人たちの生きざまを、追体験していくことになりそうです。