「沼津の平作地蔵」 伊賀越道中双六・沼津の段
沼津の平作地蔵は実際にあった仇討ち事件「鍵屋の辻の決闘」に由来します。渡辺数馬と助太刀の荒木又右衛門が河合又五郎を討つ有名な仇討ちで、日本三大仇討ちの一つになっています。(他の二つは忠臣蔵と曾我兄弟の仇討ち)この仇討ちは「伊賀越道中双六」として浄瑠璃や歌舞伎、お芝居などでも上演されており沼津の場面は特に人気のある場面になっています。歌舞伎「伊賀越道中双六」では仇の河合又五郎(歌舞伎では股五郎)の居所を知る十兵衛が平作の家に泊まるが、実はお米が妹でしかも渡辺数馬(歌舞伎では志津馬)の妻、平作が実の父親であると知って逃げ出します。千本浜で十兵衛に追いついた平作は自らの腹を切って「死にゆく仏の供養として聞かせてくれ」と十兵衛から河合又五郎の居所を聞き出します。後の人が平作は義侠心のある人物だと、平作が営んでいた茶屋の跡に地蔵尊を建てたそうです。