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2008.05.25
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カテゴリ:アジア中東

先日、東京湾の水上バスのことを書いていて、海外で水上バスに乗った記憶を思い出してみた。まずは、定番かもしれないが、水の都、ヴェネチア(ベニス)。そして次に思い出したのが、アラブ首長国連邦(UAE)、今をときめく未来都市、ドバイの記憶である。

早速の余談であるが、実は、ドバイは"中東のベニス"とも呼ばれているらしい。そして、日本にも、中世(室町時代から安土桃山時代)、"東洋のベニス"と称された都市があった。当時、日本にやってきていた宣教師ルイス・フロイスの著した大作『日本史』の中にも述べられているが、それは当時貿易港、自由都市として栄えた、大坂の堺である(そういう私も、最近、この本を読んで、知ったばかりである)。

さて、ドバイについて書くのは久しぶりである(前回はこちら)。とにかくこの都市は、ここ数年、オイルマネーの象徴として頻繁にTV、新聞、雑誌でも取り上げられるので、その発展ぶりは周知の通りである。20世紀、砂漠の中にある、ただの(?)都市が、21世紀に入ると急変貌を遂げ、今や砂漠に摩天楼が林立する未来都市である。

そして、今から遡ること7年。私がこの都市を出張で訪れたのが、2001年5月ゴールデンウィーク明けである。後にも先にも、私の中では、この時が、唯一、中東の地を踏んだ記憶である。

この当時、屋外の気温は、40℃台半ばを下回ることなく、日差しが眩しかったのだが、砂漠なので、カラッとしていて、以外と大丈夫である。一方で室内やタクシーは、ガンガンに冷房を効かせていて、長袖シャツにスーツで丁度いいくらいの温度である(当然、タクシードライバーは、皆、長袖だ)。そのため、タクシーやホテルから一旦外に出ると、その途端にメガネのガラスが真っ白に曇ったのを覚えている。

この環境で、もしホームレスでもいようものなら、とても過酷である。しかし、国が潤っているからだろうか、この国では、どこの国でも目にするホームレスを見ることはなかった。当時も、街中では高級車を良く目にし、そして建築ラッシュ、豪華なリゾート地に、とマネーに溢れているという印象を受けたものだ。

当時より、ドバイの発展は、オイル・マネー、つまり石油採掘による利益がもたらしたものとの単純な認識を持っていた私だが、実は、UAEを構成する他首長国と比較して、ドバイ(ドバイ首長国)は石油資源の点では、劣るらしいことを最近TVで見て知った。もともとドバイは、インド、中東、アフリカを結ぶ、貿易中継地として発展した、砂漠の中の貿易都市だったということである。

そして21世紀に入り、国の政策手腕と言ってもいいのだろうか、投資、開発によって、ドバイはマネーと人を集めるようになり、それが加速した。今や世界中の2割以上のクレーンが集まり、労働力不足をもたらすほどの建設、開発ラッシュ。現在建設中の世界一高いビル、そしてアラビア湾に浮かぶ、世界一の人工島リゾート、と留まるところを知らない。

そんな近代化の一方で、古いドバイを感じることが出来るのが、街を二分する運河(クリーク)、ホール・ドバイをはさんだ、バール・ドバイ(下右写真:モスクの塔も見える)、デイラ(下左写真)と呼ばれる地区である。アラビア湾から運河に入ってすぐのところにある、この両地区には、それぞれ、オールド・スーク、ゴールド・スークと呼ばれる、昔からの市場がある。もっとも、既に、真新しい高級ホテルが背後に迫っていて、それら建設ラッシュに今にもその町を飲み込んでしまうような勢いも感じたのであるが、ここでは、貿易都市として発展してきたドバイの歴史を感じることが出来る。

    ドバイクリーク2 

その運河を挟んで、2つの地域を結んでいるのが、今回のテーマの水上バスである。当時のガイドブックを読み直すと、水上タクシーとも書いてあるので、実はバスでは無かったのかもしれない。とにかく、人が集まれば、適当に出発という感じだったような気がする。その名前が、アブラAbraだったとは、これを書くまで気が付かなかった。

その水上バス、木造で真ん中に長いすが一列あって、その両側に並んで座る(下写真)、といった簡単な渡し舟と言ってもよさそうな船であった。暑いドバイにおいても、自然の海風を浴びつつ両岸の景色を眺めるのは、いかにも気持ちがいい。

ドバイクリーク

ゴールド・スーク側には、どこからやってきたのか、木で出来た貿易船(帆が1本の船も)がビッシリと係留されていたが、それらが時代を大きく遡ったような船ばかりだったので、壮観だった。近代化の一方で、ここばかりは、時代が止まっていて、昔ながら貿易都市ドバイがそのまま生き続けているようであった。目の前の白い建物には、王子だろうか、顔が大きく描かれていた。(上写真)

私達は、滞在中この運河を1往復半した。そして、2度目の復路は、運河河口で、両地域を結んでいる、海底トンネルをタクシーで走り抜けたのだったが、摩天楼が林立する一方で、こういう昔ながらの交通手段が当たり前のように残っているのを見るとホッとした。また、まさに文化、生活に触れているようで、新鮮でもあった。

今もなお、この姿が残っているのかどうかは分からない。しかし、この船から眺める景色は、きっと大きく変わっていることだろう。

 






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Last updated  2008.10.21 16:46:08
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