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2010.01.08
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カテゴリ:日本の城と城下町

城下町・萩にあって、私が最も好きな景色と言えば、やはり萩城址である。そこは、江戸時代を通して、毛利家、長州藩の首府として城が築かれた場所である。その地も、今や石垣と堀が残るのみであるが、何度、萩を訪れても、それを見ずにはいられない気分になる。

関ヶ原で西軍に与した毛利輝元は、それまでの中国地方100万石超の領主から、防長(周防・長門)36万石(数字には諸説あるが)へと押し込まれる。それと共に、山陽道に城を築くことを許されず、戦略上、僻地とも言える、萩の地に築城するよう幕府から命ぜられる。萩城址の入口、二ノ丸址にある毛利輝元の像が、訪れる者を迎えているが(右写真:09年8月)、その幕府への不満が、260年後、倒幕という形で現れる。とは、良く言われるところである。

さて、私が萩城址に惹かれるのは、そこに古城の雰囲気を強く感じるからである。その雰囲気を醸し出すのは、やはり萩の旧い町並みを含む、周囲の景色であることは、疑いのないところだろう。そういう昔の景色を目にした後で、城址を目の前にすると、そこに思い浮かべるのは幕末の萩城のイメージである。(下:萩城本丸堀と天守台。左:07年12月、下右:09年8月)

     萩城址1

昔、本で見たこともある、明治維新の後に撮られたという、萩城の古写真(下右:本丸にて)。そこにあるのは、本丸堀に面して、天守台に聳える、5層5階の萩城天守閣である。そして、その天守閣の背後にあるのは、日本海に突き出した指月山(標高143m)。その山頂には、詰本丸、詰二ノ丸が築かれ、最後の砦となるが、江戸時代のこと、そこが戦の舞台となることはない。(下左:旧厚狭毛利家萩長屋敷に展示される、昔日の萩城)

 萩城の昔日

そして、今も本丸堀と石垣を前にすると、背後に聳えるのは鬱蒼とした指月山。さらには、周囲を見渡しても、現代を感じさせるビルの景色や、新しい建物などは皆無である。つまり、緑が鬱蒼としていること、そして城の建造物が無いことのほかは、幕末当時の景色とさほど変わらないのではなかろうか。それが、きっと、萩城址に古城の雰囲気を感じさせる決定的要因のような気がするのである。

城址、本丸を歩くと、その広くは、木々に遮られる感じで、もはや本丸址というよりは公園。そして、そこに鎮座する、志都岐山神社が、公園の中心的な建物である。しかし、私にとっては、萩城址の天守台に登り(上右:天守台への石段)、そこから本丸を取り囲む石垣や堀を臨むこと、それが一番の楽しみである。そこに立つと、その景色が、全国各地の城郭における景色とは、全く異なることは一目瞭然である。(下左:天守台より西側、下右:天守台より東側、本丸門方面(何れも07年12月))

    萩城址3

尤も、城フリークの私としては、背後の指月山にも登り、詰本丸に残っているであろう、石垣の遺構にも非常に関心があったのだが、本丸にある茶室『花江茶亭』で聞くと、今や「そこに登る人は、殆ど聞きませんねえ」と言う。実際、そこに登ろうとするのも、余程の城好き以外には、居ないだろう。そして、あらためて、その鬱蒼としている指月山を見ると、真面目にその登山口を探す気も失せてしまったのである。

      萩城址3

最後に、萩城址の本丸堀と石垣の前景(上:09年8月)。中央に本丸門、そして、その先にかつて5層の天守が立っていた天守台。そして、背後には詰本丸、詰二ノ丸と山頂部に郭が形成された指月山が聳える。これから、昔日の萩城の姿を想像するのも悪くない。






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Last updated  2010.01.10 00:58:25
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