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カテゴリ:日本を旅する
昨日、井伊直弼の墓所、豪徳寺を訪れたが、その直弼終焉の地は、言わずもがな江戸城の桜田門。そこで起きた、歴史上の大事件、"桜田門外ノ変"は、昨秋、映画化されたばかりであり、まだ記憶に新しい(右)。その桜田門を訪れた記憶を辿ってみようと思う。しかし、その場所は水戸である。 映画は、事件の中心となった水戸藩士たちに焦点を当てた、吉村昭著の同名小説の映画化であるが、特筆すべきは、映画化に当たって、茨城県が観光誘致の強い思いを込めて実現に漕ぎ着けたもので、茨城県内各所で撮影されていることである。そして中でも、クライマックスの江戸城桜田門外のセットが、水戸は偕楽園を臨む千波湖畔に残されており、一昨日には来場者が20万人に達したとの、ニュースも目にしたところである。 私自身、5年ほど前にその原作を読んでいたこともあり、公開初日の10月16日に映画館に足を運んだのであるが、それが私を水戸の桜田門へと導いてくれたようなものである。というのも、その翌週末の10月22日、仕事で初めて水戸を訪れることが予定されていたからで、公開日に映画を観たことが、ドンピシャのタイミングで、桜田門外のセットが水戸にあることを私にインプットしてくれたわけである。 さて、水戸を訪れたのは、2008年の梅の季節(関連ブログへ)以来のこと。しかし、この日の水戸駅の光景は、まるで違った。水戸駅ビルや観光案内所には、映画『桜田門外ノ変』に関するポスターが溢れ、この映画への期待の大きさが伺えたものである。特に、駅の正面入口にも、それを見るほどの、力の入れようには驚かされた。 その日の夕刻、観光案内所で場所を確認した私が、映画に観た桜田門外のセットを訪れたのは、翌10月23日土曜の午前のこと。水戸駅から、朝の空気の爽やかな千波湖畔を歩き、対岸の偕楽園の好文亭もはっきり見えるほどに近づくと、そのセットが現れる。 水戸に出現した、江戸城桜田門(下左)。そして、この日は青空の快晴。しかし、事件の起こった日は雪、勿論、この地も地面が白いままである。桜田門からは、堀の向こうに左から海鼠塀の米沢藩(下中)、そして杵築藩、安芸広島藩、彦根藩と屋敷が取り囲む(下右)。 (以下、左から)彦根藩屋敷の赤い門が開き、井伊直弼を乗せた籠は、杵築藩屋敷と安芸広島藩屋敷の間に進んだところで襲撃される。襲撃したのは、薩摩藩士の有村次左衛門、その血に染まった衣装がそこにあり、そして、襲撃された彦根藩士の傷だらけの衣装と陣笠もある。自ずと映画のシーンが甦る。
そこを訪れる時、所詮は、映画のセットだという気持ちも多少はあったのだが、実際、そこを歩いてみると、何度もカメラを構えて、すっかりそのセットの虜になっている自分がいた。また、地元のボランティアの方々だろう、映画を皆で作り、そして愛しているという熱意を感じさせられた。その結果、限られた時間ではあったが、かなり楽しめたひと時を過ごせた。 桜田門外ノ変を指揮して、最後まで逃亡した末に捕捉、処刑される、関鉄之助。その主人公は、水戸の藩校、弘道館に学んだ、尊王攘夷の志士。ちょうど弘道館には、鉄之助の書もあり、その後で立ち寄るのだが、そこにしたためられた和歌は、とても穏やかで、大事件を引き起した人物の心を見たような気もしたのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.01.12 19:43:00
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