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カテゴリ:アジア中東
2011年10月12日、韓国の地を11年ぶりに踏んだ。朝5時半に起床し、そして羽田を朝9時前の飛行機で飛び立ち、ソウル・金浦空港に着陸したのは午前11時過ぎ。機内のアナウンスでは、気温13℃。東京より寒い感じだが、出発時には暑く感じた衣替えしたスーツが、ちょうど良い。 着陸態勢に入ったとのアナウンスに外の景色を見ると、霞んだ雲海に山が浮かんでいるような光景。それが朝鮮半島の光景なのだろうか。かつて訪れた時には、夜のアプローチだったため、眼下に見える赤と青の明かりが印象的であったのであるが、この日はそれを見る術はない。 やがてソウルへと近づくにつれ、眼下に現れる高層マンション群。それが集中して整然と林立し、団地あるいは都市を形成しているかのように聳えている点は、10年の月日が経っても変わらない。初めて訪れた時、そのいかにも人工的な光景が印象に残ったことが、そうだったなあと思い出されるのであった。 大河、漢江(はんがん)に沿って降下していく、窓の外にはソウル市内の景色が広がり、川向こうの丘の上にソウル・タワーを認める。そしてその背後には、雲の上に突き出す岩峰が印象的であった。その数時間後に、降下したルートを今度は陸路で、ソウル郊外へと車を走らせることになるのだが、それに気付くのも後のこと。地理感覚がない。 が、ともあれ今回は仕事で初めて韓国を訪れたのである。空港で、この日初めて会う現地同僚と合流すると、韓国式の昼食でお腹を満たし、まずはリラックス。この日、持参した11年前に手元に残った当時の紙幣は、既に過去のものとなっており、しかしそれが同僚の懐かしさを買い、ことごとく新紙幣に交換。そんなスタートだった。 この日、訪れた顧客は金浦空港から車で1時間以上のソウル郊外の都市、日本で言えば、東京から大宮とか千葉に行く感覚だろうか。そして、1時間弱の顧客との打合せは、終始韓国語、そのポイントのところを現地同僚が日本語に通訳して、私に問い、また逆に日本語で質問したのを翻訳してもらう、そんなやりとりで、スタイルの変化に面食らった。 その後、現地拠点に立ち寄り、日本に残してきた仕事を処理すると、午後7時、韓国焼肉のディナーに。既に私の知るOBビールは過去の遺物となっており、異なる銘のビールで乾杯。焼肉と辛い野菜類に、すっかり体中の汗腺から老廃物を吐き出し、すっきりしたのである。それまでの疲労までもが、辛いものに刺激されて、飛んでしまったようで、食のパワーを感じた次第。。。 この日の宿のある、ソウルの中心部に初めて入ったのは、その後のこと。素直にチェックインすると、シャワーを浴びて今に至る。長期滞在のアパートメントホテルで、ベッドルーム2つに、リビング、カウンタのあるキッチンに、テラス部屋までと、1人で過ごすには、これでもかというほどの広さ。 2つあるトイレの一つにウォシュレットがあったのには感動。そのかわり、歯ブラシも、パジャマもなく、しかしスカスカだったキャリーバッグに、初めて寝間着を入れてきたのが幸い。またカバンに忍ばせていた、ホテルの歯磨きセットが役にたった。そして、さすがに早起きの疲れも感じてきたところ。 11年前、不夜城のごとく、深夜まで活気溢れていた東大門市場の光景や、食べ物や衣料品の露店の多さに圧倒された記憶もだんだん蘇ってくるが、今回はそれらにお目にかかることもなさそうである。明日、午前、午後と顧客を訪ねると、そのまま夜、金浦空港から羽田空港へと帰国の途につく。 韓国のビジネスも、1泊2日。下手すれば、日帰りも出来てしまうという恐ろしさ。いいのか悪いのか。海外でありながら、実は海外でない、そう言えそうである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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