旅の6日目(伝説のヒーローが眠るサーキット編)
1994年5月1日・・・この日の出来事を貴方は覚えていますか?「アイルトン・セナ・ダ・シルバ」享年34歳。当時F1GPの代名詞と言われるくらい有名だった伝説のヒーローは、今から13年も前のその日、F1サンマリノGPの決勝レース中、イタリアのイモラにある「エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ・サーキット」通称イモラ・サーキットにて、壮絶な事故死を遂げました・・・。今回のイタリア旅行で、私がぜひ訪れてみたい場所が2箇所ありました。一つはフェラーリの本社。そしてもう一つがこのイモラ・サーキットです。今まで慣れ親しんでいた北イタリアのチロル山岳地帯風景に別れを告げコルチナ・ダンペッツォから高速A27を南下、ベネチアの横を通って高速A13をボローニャまで休まず進み、高速A14/E45をサンマリノ方面に走り約350kmの道のりを経てお昼過ぎにサーキットがあるイモラへ到着。高速を降りてからはサーキットを意味する「Autodromo」の標識があるのでそれを頼りにクルマを進めます。すると、街中からちょっと外れたところに小川と丘陵地帯の緑に囲まれた場所に到着しました。一口にサーキットと言っても1周約5kmもあるので、私が訪れたい「タンブレロ」を探すのに少し迷ってしまいました。キョロキョロと辺りを見回しながらクルマを走らせているとサーキットのコントロールタワーが見えてきました。(フェラーリの跳ね馬が大きな目印に!)この近くに、サーキットの入口がありました。流石フェラーリの創始者エンツォと、その愛する息子ディーノの名前がつけられたサーキットです。(F40のレプリカが何台も積み上げられているモニュメントがあります)とてもインパクトがありました。そしてコントロールタワーと観客席の後ろの駐車場に、懐かしい「アイルトン・セナ」の特大パネルを発見!(レンタカーのFIAT社ブラーボと一緒に、セナと同じポーズを)彼が生前最後に所属していたウィリアムズ・ルノーのブルー系のレーシングスーツに身をまとっています。(どこか寂しげな表情のセナ)そして、この近くにあの悲劇が起こった「タンブレロ・コーナー」があります。クルマを停めて歩いて近くまで行ってみる事にしました。コース内には入れませんが、サーキットの一部が公園となっており、タンブレロ近くまで行けるようです。このコーナーは今でこそ、シケインが設けられていますが、当時は300kmを越えるスピードで駆け抜ける超高速コーナーとして、F1ファンの見所でもありました。ただ、そのスピードの高さゆえ、1989年にはフェラーリのゲルハルト・ベルガー選手がクラッシュしてマシン炎上、奇跡的に助かるといった事故があった、いわくつきの場所でした。そして、1994年にはアイルトン・セナもそのコーナーでクラッシュ・・・。(事故現場近くのコンクリートウォールには、セナの母国ブラジルの国旗が描かれ、セナの顔のプレートもありました。)フェンスには彼のファンが捧げたのでしょうか、写真や花束がかかっていました。(世界中のファンが訪れているようでした)そしてこのスグ近くに「タンブレロ・コーナー」の方向に向かってうつむきに加減に座っている「アイルトン・セナ」の銅像があります。(花束とロウソクが訪れる人の多さを物語っております)F1マシンやいろいろなシーンのセナがレリーフとなっている台にセナが座っております。(とても寂しそうな後姿のセナ・・・この背中が事故の悲劇を物語っております)イタリアの暑く眩しい太陽の光が降注ぐ中、決して語ることのない伝説のヒーローとの出会いにいつまでも名残惜しい思いを抱きながら、イモラ・サーキットを後にしました。(最後に、セナの冥福を祈って・・・)その後は、本日の宿泊地「モデナ」に向かいました。この街もフェラーリ一色。宿泊ホテル「ラファエロ」にもシューマッハやフェラーリF1マシンの大きなパネルが掲げられております。明日は、いよいよフェラーリの本社がある聖地「マラネッロ」訪問。とても楽しみです。