浅川地下壕
太平洋戦争末期に、JR高尾駅に近い八王子市の金比羅山、初沢山の山中に掘られた浅川地下壕。大本営移転候補地として1944年9月から敗戦までの1年近くにわたって朝鮮人労働者や陸軍工兵隊員らの手によって掘り続けられたとされている碁盤の目のように縦横に走る壕の総延長は10kmに及ぶ。最近、この地下工場の研究をされている都立高校の先生が、同工場の地上にあった従業員宿舎や工場の配置図を見つけられたと話題になった。完成部分には45年4月から、現在の武蔵野市にあった中島飛行機武蔵製作所が、空襲にあったため、陸軍が当時掘削工事をしていたこの地下壕に疎開地下工場を組み込み、軍用機のエンジンがその中で作られた。この工場では、地上、地下をあわせ3~4千人が働いていたとされている。そもそも中島飛行機は、1917年に設立された飛行機のメーカーで、いわゆる「ゼロ戦」(零式艦上戦闘機)をはじめ旧海軍や旧陸軍の戦闘機を3万機以上生産した実績を持っている。しかしこの地下工場の稼動は、終戦までの約3ヶ月間。計画では、月産500機をもくろんでいたものの、地下工場だけに湿気が多く、工作機械が頻繁に壊れるなどして結果的に作ったのは10機とされている。近年、私立学校の移転計画に伴い、90年9月、地下壕の一部が破壊されることをおそれた市民からこの戦時下の遺構を平和史跡として残そうという請願が八王子市議会に提出されたことがある。しかしそもそもが私有地であることから手つかずのままといった感じだ。