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2013年12月09日
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カテゴリ:’13ドラマ

「再び戦を学ばず」

次回(12/15)、最終回です。

第49回の視聴率は、前回より下がって、12.2%でした。

今回は引っ張らずに、覚馬と容保が亡くなりました。

覚馬の最期、故郷・会津へ帰りたい気持ちが溢れていて、私も泣いてしまいました。

続いて、容保は臨終前に浩兄弟に会い、御宸翰(ごしんかん)を託しました。

どちらも名演技で、感動的でした。

 

世の中は日清戦争に向かっていました。

1890(明治23)年に教育勅語が発表されました。

それは親への孝行、兄弟への友愛などの日本古来の道徳心を重んじると共に、

「国家の危機には、忠義をもって天皇につくすべし」

という一文がある事に、覚馬は懸念を抱きました。

覚馬「教育勅語か・・・教育の名の下に、人を縛るような事があってはなんねえが・・・」

私はそんな一文があった事、知りませんでした(汗)

 

八重、東京で、日本赤十字社の篤志看護婦の勉強をするのかと思いましたが、京都にいて、「篤志看護婦人会 京都支部」で教えていました(汗)

明治23年1月に、襄が亡くなり、それから1年半も経っていないのに、もう教える立場とは、すごいですね(汗)

籠城戦での看護経験が役立っているようです。

看護婦の話は少しだけでした(汗)

 

大河名物の幽霊もしっかり登場♪(^^;)

襄の霊が八重を支え、愛に溢れていました♪

襄の死後、たった2年で最愛の兄も亡くして、殿・容保の死も新聞で知り、八重は落ち込ました。

「皆、いなくなってしまった」

と落ち込んでいた八重の後ろから襄の声が・・・

襄「八重さん、何を泣いてるんですか?」

驚く八重。

その肩に襄は手を置き、言いました。

「亡くなった人達は、もうどこにも行きません。

あなたの傍にいて、あなたを支えてくれます。

あなたが幸せであるように。強くあるように」

八重は振り向かず、その手を握りました。

八重「強くあるように・・・」

襄、消えました。

八重「ありがとう・・・ありがとなし・・・」と泣く。

襄は亡くなっても守護霊になって、八重を守ってくれているようです♪

ただ、皆いなくなってなくて、まだ母の佐久さんがいます(^^)

 

自分が校長だと以前、対立していたアリスは、もう米国に帰ったと思いましたが、まだいて、襄の英語のスピーチを生徒に教えていました。

同志社英学校の入学希望者、今年(明治24年)112名だったのが、来年は23名との事で、激減してしまい、困っていました。

新島先生を失ったのが大きかったのだろうとの事でしたが、戦争が現実的になってきたので、前にも増して、兵役免除される国立が好まれたからではないでしょうか?(^^;)

 

覚馬、同志社英学校の卒業式でスピーチをし、その後、亡くなってしまいました(汗)

その前の八重と覚馬の会話から書きます。

 

八重「兄様、京都に来た時、会津本陣で言われた。同じ日本の中でもう戦はしてはなんねえと」

覚馬「ああ、だが、また戦は始まんべ」

八重「それを避ける道を考えていたのがし? 会津が敗れた理由の中から」

覚馬「国を失う痛みは会津が一番よく知ってる。

 人間の知恵や知識で戦が避けられねえのなら、学問など無駄なのか・・・」

八重「兄様は、学問は武器だと言った。 学問をすれば答えが見つかると。

 だから、私は学んだ。それが襄の学校作りの役に立った。

 襄は生徒達に、『国に縛られず、自分の力で考え抜く人であれ』

 そう教えてた。私はその中に答えを見つけたんだし。

 『自分の力で考え抜く人であれ』

 襄の子供達はきっとその思いを受け継いでいってくれる。

 兄様、諦めねえでくなんしょ」

覚馬の手を握り

八重「誰よりも先を見て、もっともっと教えてくなんしょ」

 

それで、覚馬は元気を貰い、同志社英学校の卒業式でスピーチしました。

「諸君は学業を終え、これからそれぞれのこれからそれぞれの仕事につかれる。

どうか弱い者を守る盾となって下さい。

かつて私は会津藩士として戦い、京の町を焼き、故郷の会津を失いました。

その償いの道は半ばです。

今、世界が斗からを競い合い、日本は戦に向けて、動き出した。

どうか、聖書の一節を心に深く刻んで下さい。

『その剣を打ち替えて鋤となし、その槍を打ち替えて鎌となし、国は国に向かいて剣を上げず、二度と再び戦う事を学ばない』」

八重「戦う事を学ばない」

覚馬「諸君は一国の・・・いや、世界の良心であって下さい。

いかなる力にもその知恵であらがい、道を切り開いて下さい。

それが身を持って戦を知る私の願いです」(礼)

拍手喝采。

佐久、涙。 八重も涙ぐみました。

聖書の言葉を出すのは信者の覚馬にとっては自然なのでしょうけれど、私はちょっと苦手です(汗)

キリスト教の信者の多い国だって戦争をしているし、宗教戦争はいつの時代もなくならないから。

本当に、その聖書の一節通りに行動してほしいものです。

覚馬は襄の死後、同志社の臨時総長でしたが、翌年、小崎弘道に総長の職を譲り、学校の経営から引いたとの事。

ドラマでは、その直後、八重は家に走って行き、覚馬の臨終のシーンでした。

佐久と久栄が見守る中へ八重が来ました。

八重「兄様」

覚馬「八重、来たか」と、起き上がる。

覚馬「久栄、こっちゃ来」

久栄、泣きながら来る。

覚馬「泣くな」

久栄「はい」

覚馬「八重、母上をよろしく頼む」

八重「はい」

覚馬「風を入れてくなんしょ」

障子を開ける。

覚馬、庭の方に身を乗り出し

覚馬「会津はもう雪だべか?」

佐久「んだな」

覚馬「やっと帰れんな。 皆が待ってんべ」

八重「兄様」

佐久「三郎も旦那様もいんのか?」

覚馬「・・・」と微笑む。

佐久「覚馬・・・長え間、ご苦労だったな」

覚馬「母上・・・八重・・・

 戦を生き延びて2人がいてくれたから、会津の男としてこられた。

 ありがとなし」

 

覚馬、昔の回想。

会津に帰り、八重達家族が迎える。

父も三郎もいる。

回想、終わり、覚馬、死ぬ。

 

語り「覚馬は64年の苛烈な生涯を閉じた」

 

そして、容保の屋敷。

浩「あの頃を知る者がまた一人、世を去りました」

布団の上で起きている容保と傍に浩と健次郎が控えている。

容保「覚馬・・・」咳き込む。

容保「2人に託したい事がある」

浩と健次郎、平伏する。

容保、御宸翰(ごしんかん)を出す。

2人、驚く。

浩「御宸翰・・・開城の折に失われた物と思っておりやした」

容保「これだけは・・・会津が逆賊でない事のただ1つの証」

容保「いつか御宸翰を世に出してくれ。

 会津がいかに誇り高く戦ったかを、死んでいった者達の心を。

 ただし、再び同じ道を辿らぬよう、戒めとして、これをそなたらに託した。

 わしの最期の願いじゃ」

浩・健次郎「はっ!」と平伏。

容保「・・・」と満足げでした。

 

そして、松平容保が亡くなった事が新聞に載りました。

八重がそれを見て、子供の頃、殿と会った事を思い出しました。

そして「皆、いなくなってしまった」と泣いて、前述の襄の幽霊シーンへ。

 

明治27年(1894年)3月、朝鮮半島南部で農民の反乱・東学党の乱が勃発。

朝鮮政府は清国に派兵を要請しました。

これに対し、伊藤内閣は8000人という大兵力を派遣する閣議決定を下しました。

明治27年8月1日、遂に日清両国は宣戦布告しました。

八重は戦地に従軍看護婦として行き、敵味方関係なしに看護したいと、大山に頼みました。

 

最終回は、日清戦争のようです。

副題は、「いつの日も花は咲く」。

どこかで聞いた歌のような・・・(^^;)

予告編、頼母が仙人みたいでした(^^)

久栄は、明治26年(1893年)、享年23歳で病没しましたが、やりませんでした。

覚馬が明治25年没なので、翌年ですね(汗)

佐久は意外と長生きで、享年85歳(87歳死亡説あり)で、明治29年没。(Wikiより)

頼母は、明治36年没で享年74歳。日清戦争宣戦布告から9年後です。

八重は、昭和7年(1932年)、86歳で他界したそうなので、死までやらないかな?

最終回、どう締めるのか、注目しています♪(^^)

 

【第49回あらすじ】

襄(オダギリジョー)が亡くなり、同志社では欠席する生徒が増え、来年度の入学希望者が激減する。1890(明治23)年に教育勅語が発表されると、覚馬(西島秀俊)は天皇への忠義を課す一節に懸念を抱いていた。八重(綾瀬はるか)は京都赤十字社で看護と救急法の講義に参加するが、戦を知らない女性たちの言葉に違和感を抱く。そして、今は武器が強力になっていて戦の傷はむごいものだと話し、しっかり学ぶよう諭す。そんな中、覚馬の元に東京から健次郎(勝地涼)が訪ねて来た。兄・浩(玉山鉄二)に代わって幕末の戦記を仕上げるため、京都でどのように薩摩・長州と戦っていたのかを取材するためだ。だが、覚馬が薩長にも勤王の志はあったと話し、健次郎も八重も激しく反論する。その後、覚馬は同志社の卒業生たちに不戦の精神を説き、病に倒れ息を引き取る。

 

【視聴率推移】(視聴率は関東地区)

[1回]21.4% [2回]18.8%  [3回]18.1% [4回]18.2%  [5回]18.1%

[6回]15.3%  [7回]17.5%  [8回]15.6%  [9回]15.1%  [10回]12.6%

[11回]14.3% [12回]13.9% [13回]14.3% [14回]11.7% [15回]14.2%

[16回]13.8% [17回]13.7% [18回]15.7% [19回]15.0% [20回]13.7%

[21回]14.1% [22回]13.3% [23回]15.0% [24回]14.8% [25回]12.9%

[26回]14.0% [27回]12.9% [28回]16.1% [29回]14.5% [30回]12.6%

[31回]15.4% [32回]13.9% [33回]15.9% [34回]13.4% [35回]14.2%

[36回]15.4% [37回]15.0% [38回]11.9% [39回]13.3% [40回]12.4%

[41回]12.4% [42回]14.8% [43回]11.5% [44回]10.0% [45回]12.8%

[46回]13.7% [47回]13.7% [48回]13.7% [49回]12.2%

 

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最終更新日  2013年12月22日 21時17分58秒
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