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カテゴリ:街を歩いて見かけたもの
平安時代末期の武将・平清盛が主導して、短期間ながら福原に都が遷ったことがあります。治承4年(1180年)のことです。この「福原京」は、現在の神戸市中央区から兵庫区にまたがる辺りだったそうです。 しかし、同じ年に源頼朝が挙兵し各地で反乱が起きたこともあり、都はわずか半年で平安京に戻ることになります。そして、治承4年から元暦2年(1185年)にかけての「治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)」へと進んでいきます。 源平合戦の中でも有名なのが「一の谷の戦い」ですね。寿永3年(1184年)に起きたこの戦いで、福原の西側に当たる須磨・一の谷を攻め落とされた平家は混乱し、福原の東側に当たる生田の森を守っていた平家軍も撤退を余儀なくされます。 大将の平知盛は命からがら、海上の船に逃げ延びましたが、息子の平知章(たいらのともあきら)は源氏軍に討たれてしまいました。 討たれた場所は2キロほど北の明泉寺付近だと言われていますが、江戸時代にこの地に碑が移されたということです。
すぐ脇を、新湊川が流れています。かつての湊川は福原京の付近を流れていましたが、明治になって、治水のために付け替えられました。
近くには、阪神淡路大震災の慰霊碑が設けられていました。あれからもうすぐ22年が経とうとしていますね。目に見える傷跡はだんだん無くなっていくのかもしれませんが、けっして忘れることはないと思います。
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