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カテゴリ:【大阪】に関わる単語
またもや使った事のない単語だ。つくづく教養の無い事を曝け出してしまっているなぁと思う。皆さんは【峨峨】って使った事がありますか?
この漢字を使用する単語で有名なのが京都の“嵯峨野”だと思うのだが、この【峨】と【嵯】の意味は、両方ともに“険しい山”ということだそうだ。 確かに“嵯峨野”の近くには“保津峡”なども在り、結構険しい山並みが続いているのだが、関西では“山”そのものの存在が当たり前なので、関西人からみれば結構ありきたりな風景でもあったりするのだ。勿論、その周辺にある建物などの人工的な物や街並みや情緒などは、他にない“京都・嵯峨野”だけのものではあるのだが。 今、俺の住んでいる街には“山”も無ければ“海”も無い。あるのはだだっ広い“関東平野”だけである。おかげで、この季節になると“富士山”が近くの歩道橋からも拝めたりする位に“何も無い”所だ。だから関西出身の俺には“山”が妙に恋しくなる時があるのだ。 そもそも登山などの意味での“山”は当然ながら好きではない。あれほど疲れるものは無いと思うくらいに嫌いなのだ。しかし、遠くから観る“山”の景色は大好き・・・と云うよりも、見ているだけで落ち着くのだからもやっぱり“山”には不思議な力があるのかもしれないなどと思ったりもする。 大阪に住んでいる人間は当たり前のように“山”を毎日見ているはずだ。東には“生駒の山並”があり、北から西にかけては“箕面~六甲の山並”が在って、その山々に包まれている所に居るのだから当然なのだが。 そんな当たり前な景色が無くなるってのは、やはり寂しいものだ。普段の生活に於いて、いつも“山”が見える風景を恋しがっている訳ではないのだが、ふとした瞬間に悲しくなったり寂しくなったりするのだ。 俺はどちらかと云うと“生駒の山並”よりも“箕面~六甲の山並”に親近感を覚えるほうだ。まぁ“箕面~六甲の山並”の中に住んでいた時期もあるし、学校も、その中に在ったから当然なのだが。 今、住んでいるところは本当に何も無い。 いくら“富士山”が見える時があると云えども、常時見れる訳ではないし、そもそも遠すぎる。 だから【峨峨】なる景色でなくても良いから“山”が見えるところに移り住みたいとは常々思っているのだ。 しかし、関東で“山”の見えるところとなると、本当の田舎に引越すより方法がない。だから、今は諦めているのだけれども。 でも、俺の人生は結構【峨峨】な景色ばっかりだったので、せめて住むところ位は“山”の無いところになったのかな。 いや、やはり【峨峨】な人生でもいいから“山”が当たり前に見える関西に戻りたいと思う。そろそろ計画を立てねばならぬかな。いや、その前に家族の説得からか・・・(ブツブツ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/12/05 04:17:39 PM
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