第1部めまいの都2005年5月、東京では折からの異常気象でアブラムシの異常発生や、スギ花粉の被害を報じるテレビニュースが流れていた。 僕もこの虫の大発生の被害を懸念して会社の会議で駆除を検討するよう申し立てたが、相手にされず文字通り無視された。 通勤途中、この大量の虫たちをよけながらやっと電車に乗り、べたつくつり革に手を伸ばせば既に虫たちが付いていた。 晴れるかと思えば降り、降れば風が吹く。 隅田川の魚たちもいつもの場所にいるのはマルタとボラだけだ。 こんな気候だ、ちょっとでも気を抜けばたちまちカビやミクソウィルスの餌食で風邪をひいてしまう。 軽い咳をした。既に自分がその「餌食」になっているらしく、痰が白から緑へ、更にオレンジ色に変わっていった。産業医に抗生物質をせがみに行き、来るべく発作に備えるための投薬治療を始めた。 どうやら肺炎は避けられたようだ。コイツがきっかけになる発作が来るまでは大丈夫だ。 おりしも季節は春から初夏へ、駅前の街路樹を青々と萌えさせていた。見上げれば木漏れ日がさし、すがすがしいはずのこの景色に僕はめまいを感ぜざるを得ない・・・・・ だれもがこの都会の喧騒から逃げ出し、雲の上で天使の羽に抱かれたいと思っている。 だれもがこの排気ガスと世界最高とも言われる人口密度から逃げ出し、そこへ行きたいと願っている。 そこへ行くチケットの販売店がどこかに無いものか・・・・・・ 社内では部下が揉め事を起こしたり、賞与査定の愚痴をもらしたりしている。 僕ははっきり「こうしないからお前は駄目なのだ」とか、「こうすれば評価されるぞ」といって促したりしない。 僕は卑怯な上司かもしれない。 本人にはっきり言ってやらないのは良くないと進言してくる部下まで現われる始末だ。 しかし、本当に気づかなければいけないのは“いわれて治るのは気に入らないから、自分で拾得したい”と思っている独りよがりな部下の方だろう。 そのことを教えるのは不可能だ。「あなたに教わるのはいやだ」といっている人に助言もない。こうして組織は崩壊していくのだろう・・・ ある日の午後、また例によって部下が噛み付いてきた。僕は軽いめまいをこらえ、 「で、どうする?会社をやめていっそ田舎にでも引っ込むか?俺はそういう生活が好きだからなんなら付き合ってやってもいいんだが?」と切り出してみた。 ん?今いった田舎ってどこのことを示すのだろう? 戦争前から東京に住んでいる家系だ。田舎など無いはずなのに、なぜ引っ込めるのか?自分で言って少しおかしかった。 しかし僕の中にそのイメージは確かにあった。田舎と書いて故郷と読み、その種類に「心のふるさと」という場所があるのだ。 イメージの中で一瞬、きらきらと輝く水面が見えた。 これでは部下は付いて来ないだろう。と心に思い苦笑いしながら席を立った。 屋上で見上げる空はいつも灰色なのに、なぜかこの春の風がスモッグをさらって抜けるように青かった。僕は笑顔を取り戻し、席に戻るとこういった。 「今度担当が変わる様なことがあったら連れて行ってやるよ、天国に一番近い湖にね。」 休暇の申請用紙を書き終わると、歳より若作りな事務担当に手渡した 「これでよかったね?天国行きのチケットは」 「はい、天国行き浜名湖往復で宜しかったでしょうか?」 僕はもう笑顔以外のコミュニケーションを追加しなかった。 先月、車を修理に出してから長距離を走っていないから、いつぶっ壊れるかという不安にかられながら、いつもの東名高速をひた走った。ディーラーによればミッションのトルク調整範囲の公差内におさまっているクレームらしいが、僕のフィーリングにはまったく納まらないものだった。当然ミッションを交換した。 更に足回りがグッキリ鳴るのだ。 試験走行では確認できなかったらしく、軟質系緩衝材の役割でケーブルラッシングなどに用いられるチューブを巻いてみたと、メカニック担当は申し訳無さそうな顔つきで頭を掻いた。 ボディーとショックのちょっとしたずれ等からおきる音に違いないと思うし、コイルにチューブを巻いて改善できるとは思えなかったが、何もしないで返すような不届きな奴が多い中で、それなりに頑張った答がそれだと感じたため快く納車を許した。 そんなことをぼんやり考えながらアクセルを踏み続けていると、カーステレオは懐かしい曲をチョイスしてきた。 家内と出会った頃、何も怖いものなど無かったといったら嘘になるか・・・・ 伊豆の海底ではカラフルな死滅回遊魚たちが僕らを待っていた。 よせばいいのに1本潜って食べたカレーライス、いつも2本目の水中で後悔した。 いい思い出だ。 いやそうじゃない、今だって僕はそんな青春の真っ只中にいるのだ。 会社のパソコンを眺めているうちに忘れてしまった何かを取り戻そう。 120キロで走る車内で大声を上げた。なぜか涙が込み上げてくる。 そうだ、僕は僕で今こうして生きているじゃないか。楽しみは自分で作り出してきたじゃないか。今も、今日これからもずっとそうだ、天国行きのチケットは手に入れたのだから。 クラブ・フィッシングOKI 時刻は午後10時を少しまわったところだった。 浜松西インターの集金係りに「こんばんは、お疲れ様です」と声をかけた。 ステアリングを右いっぱいに切ると、去年はカエルがそこらじゅうにいて、交通事故の原因になりかねないほどだった舗装路に出た。 僕の脳みそは既にナビゲーションシステムのデータに頼らなくても済むようになっている。 それはそうと、店の風貌が一転している。“クラブOKI”と書いていそうなくらい高級なウッドドアーを開けると、この店の店舗コーディネーターと、店主が奥のラウンジで雑談をしながらくつろいでいた。僕も仲間に入れてもらい、小宴会モードに突入した。 店内はパイン系の単版で張り詰められ、各所に堀込み棚や手製のランバーコアによるカウンターテーブルなどが施されており、とても「えさ・つり船」の沖とは思えない店内に様変わりしていた。 いっそ外装看板も「メンバーズフィッシングリゾート・OKI」と、変えたほうがいいかもしれない。 残念だが、チヨの姿は確認できなかった。既に番犬はトモ一頭になってしまったが、愛想の振り撒き方は変わらないトモの姿に安心した。 例によってシャワーを借りて寝るわけだが、今回は用意周到に自宅でエアベッドを膨らませてきた。夜中にあの「キーン」という音をたてるのはやはり何回やってもいい気がしない。 ほろ酔い気分で車にもぐりこむと建物に付いている常夜灯がまぶしい事に気づいた。 試行錯誤しているうちに車の中は熱気でいっぱいに・・・・ エンジンをかけて何とか湿りきった車内を快適温度に持っていったものの、寝る時はエンジンを落とさなければ今度はファンが回ったり切れたりする音が気になって眠れない。 もとより興奮が高まって眠れないのに、この一連の動作ですっかり寝ることへの挑戦をあきらめた。 あきらめてみると意外と体が楽になってくるもので、うとうと始まった。しかし、気温は上昇するばかりだ。 「仕方ない、少しなら窓を開けていても大丈夫だろう」そんなことをしているうちに誰か車で登場した。まだ夜中だというのに。きっと幸二君だと信じながら目を閉じた。 次の車が駐車場に入ってくる音を確認した僕は、車内の吸血鬼との格闘に終止符を打って寝ることを完全にあきらめた。 そもそも明るくなってきた。結局タオルケットに自分の血液の染みを3箇所もつけることになって朝を迎えてしまった。車の窓には網戸が必要だ。 やはり最初に入庫してきたのは幸二君だったようだ。よく似合う真っ赤なTシャツのたまちゃんが幸二君の車に近寄った。 そっと隠れるように車を激しく揺らした。僕も良くやる手だが、きっと幸二君は夢の中で東海沖地震を体験したに違いない。 時刻は午前4時だ。今ごろ六本木あたりではまだ盛り上がっているだろうが、正反対のこの爽やかなムードの中で僕は蚊に食われた跡を掻きながら伸びをした。妙な優越感を感じる。 早速運試しをしようと、デミタスにトライしたのだが、僕はこの世の終わりを確信するほどショッキングな経験をすることになった。 幸二君が何を飲みたいか、玉ちゃんに尋ねているときにそれは起こった。 「玉ちゃん、幸二君何が良いかね?」 「ん?何でも良いみたいだよ、いつもいろいろ飲んでるみたいだし」 「そう、じゃあ例によって当てに行きますかね」 「ん?あ、それねぇ、誠さんが設定低くしてるからもう当たらないよ」 「・・・・・・・??」 「そうそういつも当てられちゃあって、誠さん言ってた様な気がするなあ・・」 「そ、そうなんだぁ、でもいつも5時ごろに買ってるから・・・今日は早いし・・・・」 僕はそういいながら小銭入れから100円玉をつまみ出そうとする自分の指がぴくぴくと軽い痙攣を起こし、戸惑っているのを感じた。 毎回楽しみにしていた運試しを、まだだれもいない店頭で、密かに狙いを定めて祈りを込めて、この旅を占う小市民の期待を、ついに・・・・・ 案の定、2本買ってもそのデジタル数字が揃うことはなかった。僕の眼は焦点を失い、惰性で玉ちゃんの問いに答えた。 「ね?当たらないでしょ」 「そ、そうだね・・・は、ははっ・・・」 実際は機械の設定はベンダー業者がやっているらしいのだが、このときの僕の心は“碇 シンジ”状態だった 黒鯛補完計画 フェーズ 1 僕は仕事である現場の管理を任されている。仲間の部下を見ていていつもつくづく思うのは、一生懸命なヤツほど“出来ない部分”をこだわるために“出来ていること”が見えなくなってくる。 懸命な努力で成し得た“出来ていること”は、既に自分の中で“軽いこと”になっているのだ。 対して、“出来ないこと”が些細なことでも自分の脳みそを占拠してしまうのだ。 人はつまらないことにこだわり、追求する。 魚釣りとはそんな人間の行動理論を絵に描いたような娯楽なのかもしれない。 テレビか本か、聞いた話か忘れたが、仕事のストレスは負のストレスで、スポーツや娯楽のための疲れ(ストレス)やイライラは正のストレスだということだ。 ストレスを発散する技術は、練習や訓練によって得られた特殊技術を持ってすれば高度となり、対してタバコやパチンコによる発散はレベルが低い。 高度な技術を要する仕事や、対人関係でお悩みの方はこの高度ストレス発散をお勧めするし、既に身に付いていらっしゃる方が多いはずだ。 仕事がうまいヤツは、遊び(発散)もうまいということだ。 釣りの技術は自分の感性を磨いたり、経験を積むだけでは必ずしも“高度技術”とはならない。なぜなら、自分の肉体や、精神力をいくら鍛えても魚がいなければ釣れないからだ。 昔、豪雨によりにわかに出来た大きな水溜りに、竿を出す釣り人を見た。釣れるはずも無いのに浮木を見つめる釣り人は果たして“上手”か“下手”か・・・・・ スポーツやビリヤードなど、“鍛えればうまくなる”類の趣味を持っている人はいい。 努力すれば自分で成長できるのだ。必ずといっていいほど結果が付いてくる。 つりの話に戻ろう。 釣りの相手は自分の内面だけではないことは既に書いた。 魚がいなければ出るはずの結果が出ないこともあるし、確かめたくても確かめようが無い魚の気持ちを、ギャンブル性に富んだ“遊び”と決め付ける釣りを知らない人の意見をいつも聞いていきた。 しかし、僕はこう考えている。 釣るためのスキルは確実にあって、自然の知識と運をも含めて正のストレスに換算するのが本当の釣りの楽しみではないか。 天候や諸条件は、経験を重ねないと理解できない自然現象だ。さらに魚がいるかどうかは釣ってみなければわからない。 下手な鉄砲数打てばというが、確かにそう考えている人はいるだろうし、そうすれば釣れる確立はあがるのだ。それで発散できるストレスの持ち主ならそれでいいのだ。 僕は違う。 そんなに簡単に発散できるストレスならここまでやらないし、新宿の街でいくらでも発射、いや発散できる。 さて、その不足しているスキルを補完して、残る不安定要素を自然現象だけにするべく戦いが始まった。 “出来ていること”を軽く見ていると痛い目にあうことも忘れて・・・・・・・ 「釣れるときは釣れるさ!あそこ行ってみようぜ~!!」 「そ、そう?んじゃ行ってみようか・・・」 「そうそう、あそこらへん、よさそうだって!」 「よーし、シゲちゃん釣っちゃってね!」 「マーカーセーナーサーイ!!」 こんな会話から初日のデイゲームは始まった。 第二部へ |