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月曜日は、伊豆には、伊東、熱海の学校の先生たちに話しをするために行った。
しかし、約2時間という長時間、大の大人に、 しかも大勢に話しをする機会は始めてのものだから、 最初から、てんてこ舞い。 話しの切り出しに 「会場に来る前に、ひとっぷろ浴びてきました」と 会場に来る前に仕事をしてきた人たちに対して反感を買う様な事を 口走ってしまい、 しまった、と動揺した頃には、時すでに遅し。 行きの電車の中でシミュレーションしたはずのプログラムの順序を 間違ってしまっていた。 そんなこんなで、始終緊張してしまい、伝えたい事も伝わらなかったのでは、 と帰りの電車はビールも自制するくらい反省モード。 風呂なんて入っている場合じゃありませんでした。 だからこそ、お詫びの印として、 先生に質問されて、ちゃんと答えられなかった事、 もっと言いたかった事を、今更ながら書いておきます。 最後の質問で、 「私たち、教師に、◯○さん(ぼく)の経験を活かして、言える事はなんでしょうか?」 と言われてしまい、 学校周りをしていて、教師の人たちの普段の大変さが身にしみてわかってきた自分は、 偉そうな事を言えないと思い、 「のびのびと育ててください」 などと、府の抜けた事をいってしまった。 僕が言いたかったのは、もちろんのびのび育ててほしいのだが、 子どもに「こんな風に」なって欲しい、と思うのならば、 子どもを囲う大人が「そんな風に」なってください。ということ。 「優しい」子どもになってほしいなら、 「優しい」大人になる事。それを見せる事。 「国際協力や平和について知ってほしい」なら、 「国際協力や平和について」大人が理解を深め、自ら語る事。 「のびのびとおおらかに」育てたいなら、 大人がそうなって、子どもに接する事。 子どもに明るい未来を作ってほしいなら、 大人が明るい未来を作り上げるのを見せ、夢を見させる事。 最近、 子どもは「社会の鏡」と友達が言っていました。 当たり前の事だけれど、親を見て、教師を見て、学校を見て、地域を見て、社会を見て 子どもは育ち、その色に染まっていく。 だからこそ、その社会を創り出す、子どもを取り囲むおとな次第で 子どもたちは良くも悪くも変わっていく。 途上国と日本を比べて見てみて、それがはっきりわかるようになりました。 大人たちの振る舞い、大人たちが創り出す世界次第で、 子どもたちの表情は大人に似て、笑顔の差が現れる事。 こんな両親みたいになりたい。 こんな先生みたいな人になりたい。 こんな社会に住みたい。 「そう」思わせるように、「そういうふうに」自分たちがなる、 「そう」思わせる、「そういうふうな」社会を見させると、 自ずと子どもたちも変わっていくのではないかと思う。 だから、家族というコミュニティ、 学校というコミュニティ、 地域というコミュニティなどの 今、崩壊しつつあるコミュニティを見直す必要があるんだと言いたいのです。 もっとそのコミュニティの絆を深めたら、子どもは 自信を持ってそのコミュニティの人々を好きになって、 よりよい社会(コミュニティ)を築けると思うのです。 毎日、子どもたちに接している先生たちは、 直接子どもの成長を見る事ができ、 点でしか子どもたちと交わる事がない僕には すごくうらやましくもあります。 しかし、日々に追われる先生にこの課題を課すのは、過酷です。 今の先生に時間的余裕を与えてください、文部科学省。 子どものために。 ~~~~~~~~~~~ 自省の念から、今回はかなり長く、堅い文章になってしまった。 ~~~~~~~~~~~ もし、自分に子どもができたら、 自分自身は子どもの前で、 ふざけて、 やさしく、 きびしく、 ぼけ~っと、 振る舞うだろう。 どんな子になるんだか。心配です。 いや、その前に、親父、おふくろは、 いつになったら子どもをもてる状況になるのか、俺を心配しているはず。 う~ん、、、来世には! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 30, 2008 11:39:37 PM
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