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カテゴリ:語学
昨日、テコンドー仲間のフミさんと話していて、
彼女の、アメリカに住む友人の話になった。 その友人夫妻には5歳くらいの子供がいるが、英語はまったくしゃべれない。 そのため、幼稚園で叩きあいのケンカになった時、 相手の子供に「先に手を出したのはあっちだ」と、 先生にウソの報告をされても意味がわからず、 誤解を招いたまま注意を受けたという。 それを後から聞いた父親が、事情を話して誤解を解いたらしいが、 その父親は子供に向かって言い聞かせたらしい。 「言葉がわからないと、またこういうことが起きるかもしれない。 そのときに困るのは自分だよ」 それから一生懸命英語を勉強したということなのだが、 本当に困った時、崖っぷちに立つと、 やはり人は必死になるものだと思う。 私がプサンで銀行に行った時、 窓口のお姉さんが公共料金の口座引き落としを薦めてくれたのだが、 この手続きがかなり面倒だった。 まず口座を開設し、それから引き落としにするための 書類の書き込みを行ったのだが、 外国人ということで口座開設には特別な添付書類が必要となり、 用紙に書かれた質問に答えなければならなかった。 しかし、情けないことに、それがまるっきりわからなかった・・・>< 裏に英語バージョンで書かれていたが、それすらもわからない。 悪戦苦闘しつつ、考えながら書き込むこと約30分・・・ 店内が混んでるにもかかわらず、窓口のお姉さんも親切に書き方を教えてくれ、 そうしてめでたく口座開設の運びとなった。 私は毎月の払い込みの煩わしさから解放され、とても楽ちんになった。 まったく意味がわからん書類を渡されたあの時は、 (もう、毎月振り込みに来てもいいよ・・・トホホ・・・TT ) という、あきらめの気持ちだったが、 やはり、口座があるとないとでは、生活する上で大きな差があった。 あの時、 一瞬だけ必死に頑張ったことは、やっぱり無駄ではなかったのだ。 本当は、それが、 一瞬でなく、継続されていなければいけないのだけど・・・; お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月21日 11時18分08秒
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