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カテゴリ:音楽
タイムスリップ! 79年音楽シーンへGo!
東芝音楽工業よりリリースされたアナログ・シングル盤の「安奈」(文中敬称略) ![]() ![]() このシングル盤は、'79年10月5日にリリースされた、A面は、「安奈」、B面は、「翼あるもの」が収録。 この「安奈」は、甲斐よしひろが創った名曲(作詞も、甲斐よしひろ)。チャートの第4位にランクされ42.4万枚のセールス。 甲斐バンドは、甲斐よしひろのワンマン・バンドと思われていますが、実は甲斐よしひろを支えていたのが、ギタリストの大森信和でした。 が、 しかし、 全幅の信頼があった、大森信和が、体調の不良(実は、ミュージシャンの生命線の聴力の問題で)を訴え、脱退を表明。 この時に、ギタリストの田中一郎(オリジナル・メンバーではなかった、'84年に参加)が泣いて大森信和を引き止めた。のだが、 リーダーの甲斐よしひろは、メンバー・チェンジではなく(大森信和に替わるギタリストは皆無)解散を決意。 ここから、伝説となってるあのライブとその名言が! ↓に続く ※B面の「翼あるもの」も名曲です。 ユー・チューブ→「安奈」←ライブの総天然色映像 '86年3月に大森信和の耳の不調を理由にバンドを解散するとマスコミ発表を。そして、甲斐バンドの伝説にもなっている、日本武道館5日連続コンサートを最後に、『バンドは消えても曲は残る』という名ゼリフを残して、甲斐バンドの活動を閉じた。 耳の不調を訴えていた大森信和(福岡大学薬学部中退)は、'04年7月5日未明入院先の病院で永眠しています。享年52歳 大森信和は、決して自らを誇示しようとはしなかったが、紛れもなくバンドの屋台骨(リード・ギター)として、甲斐バンドを支えていた。 シンプルながらも深みがあり印象に残るリフ、聴く者の心を奮わせる泣きのソロ等々…… 甲斐よしひろ、という強烈な個性をいかんなく引き立てつつ、確実な存在感が大森信和のそのギターにはあった。 大森信和の死去にさいし愛娘の大森亜未子さんからファンの方に宛てたメッセージ(原文)があります。 初めまして。大森信和の娘の大森亜未子と申します。突然なのですが、7月5日未明、父大森信和が他界いたしました。 通夜、葬式などは、近親者だけで執り行いたいと考えておりますので、ここにご報告だけさせていただきます。 これからも、父の作ったホームページは、書き込んでいただける方がいる限り残しておこうと思います。 父を愛してくださった全ての皆様には、家族をはじめ近親者一同心から感謝しております。 本当にありがとうございました。 大森亜未子 最後に、この楽曲(レコードの音源)のイントロでアコースティック・ギターを弾いているのは、偶然スタジオ遊びにきていた浜田省吾が弾いています。 東京の天気は、今日は朝から快晴で、太陽の光が燦々と降り注いだ小春日和の初冬の1日。でも、この時間帯は冷え込んでいます。 P.S.:先週、『you tube』に登録し、たのだが、ユーザー名の名前が気に入らず(ボクが設定したのだが)昨日、新たに登録をし直した。 で、 今日の夕方から、アップロード作業を。 無事に、完了。 ユー・チューブのアドレスは、 水平線の彼方に アップしても直ぐには、観れない仕組みに。 完了予定が、22時19分~23時20分と表示されているのだが…… 先ほど、SHARKSのメンバーにもアドレスを知らせた! こちらも、楽しんで貰えたら、嬉しいと思っています。今後の更新作業を楽しみにしてください~! 本館の『素敵ミュージシャン達』は、予定通り更新します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.08.09 16:07:29
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