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カテゴリ:映画
■勤め先が高台にあるので途中の坂や急な階段を歩くのには酷な季節だ。汗をだらだらかいてハアハア言いながら目的地を目指す。側に誰かがいなくても、ひとりでもハアハア言ってしまうのは客観的に見れば気持ちが良いものとは思えない。でも止むを得ず口に出してしまうハアハアもある。
■それに対して、たとえば4人の女子高生が制服で長い長い道路を自転車に乗り、猛スピードでそれをこいでいる時に発するハアハアは被写体としてそんなに醜悪なものではない。また、たとえば彼女たちが自分の好きなバンドのことについて猛烈にその愛を語る時のハアハアも自分にもそんな時期が確かにあったよなと思わせてくれてとても懐かしく思える。 ■神と崇めるような大好きなバンドのメンバーからまた見に来てくださいと(出待ちしていた時に)直接話しかけられたら、たとえそれが遥か遠くのライブ会場であっても実現させるべく全力を尽くすだろう。まして今は夏休みで同調してくれる仲間もいるし、時間だって無限にあるように思う。 ■クリープハイプというバンドの選択はこの物語を歪めていないと思う。映像に重なる楽曲の魅力はもちろんだが、なによりフロントマンとして尾崎世界観という(名前の)人物がいるというところが彼女たちをハアハア言わせてしまうような信仰心を煽るのだと思う。(ちなみに私は同じような名前のグレイプヴァインというバンドにハアハアだ。) ■しかし彼女たちも最初から北九州から東京の渋谷まで自転車こいで辿り着けるとは思ってはいなかっただろう。誰が最初に自転車を捨てて、誰が最初にこの無謀な旅に文句を言い、誰が最初にこの恋みたいな信仰に疑問を投げかけるのか。まるで4人組のバンドが解散する様子を追いかけて見せているような物語にも見えてくる。 ■中盤、金に困った彼女たちが奔走する様は「ラブ&ポップ」や「バウンズkoGal」の方向へ流れ進むかと思いきや、ぎりぎり「リンダリンダリンダ」の後味へと向かっていく。終盤のコンサート会場での神との出会い方はこの監督とこのミュージシャンとの関係なくしては実現できなかったちょっと奇跡的なシーンだ。 ■かつて感動とはそれを肌で感じた時に身も震えるような体感だった。しかしここで語られる感動は明らかにその場に自分がいたということを自撮り画像によって発信し、それが他者から認められた時に初めて得られる快感に様変わりしている。そして言葉もまた、それを直接相手の目を見て語るよりも、スマホの画面を通して瞬時に文字化されたそれの方が直接相手の心に響くように(第三者の目を通しても)見えるような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/07/29 10:41:20 PM
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