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カテゴリ:真田丸
■タイトルバックに隙間がやけに多い。キャストの人数もこれまで最小の20数人。しかもその約半数が女性だったというのも今回の大きな特徴。そしてあの勇壮な軍勢がダーッと押し寄せる定番の大トリの位置に草刈正雄の文字はなく、代わりに最後に名前が映されたのはその妻、高畑淳子。彼女もまた旦那の後を追うように有働女史によって今回ナレ死の宣告を受けた。
■第39回にして、まるでこれからひとつの物語が始まるかのような雰囲気にも見えたのは、主役が初めて主人公のような顔をして物語の中心に位置して見えたからかもしれない。彼と彼を取り巻く人物たち、すなわち彼と兄、彼と女たち、彼と家来たち、そして彼と息子。 ■これまで父のため、主君のため、兄のために、その都度、色んなことを託され、任されてきた次男坊が、昌幸も、秀吉も、三成も、信之も自分のところから離れていってしまい、いざひとりになった時、ああこんな人物だったのかということを改めて描いて見せた回、つまり真田信繁の物語の始まりの回でもあった。 ■それほど才覚があるわけではなく、出世欲もあまりなく、女性の扱いはお世辞にも上手とは言えず、父親としての尊厳も持ち合わせていない。突然抱きつかれたり、障子を破られたり、愚痴を言われたり、全部自分が蒔いた種なのだけど、うまく刈り取ることができない、そんなどんな時代のどこにでもいそうな不器用な男を堺雅人が器用に演じる。 ■ペナルティとしての隠遁生活のはずだったのに、そのスローライフに思いのほか馴染んでしまい、このままこの場所で余生を過ごしてもいいと思う大河の主人公はまれだ。しかしこの脚本家の腕を持ってすれば、そんな九度山ファミリーの成長物語をワンクールくらいの尺ならば軽々と描いて見せることもできるはず。 ■それでもそんなホームドラマのような展開が長くは続かず、終盤、誰かがはるばる彼の力を頼ってやって来ることにあまり違和感がないのはこの主人公がこれから成し遂げることに意味があるからではなく、これまでしてきたことに価値があったからこそに他ならない。 ■いつの間にか白髪頭になってしまった家康といい、すっかり将軍らしく見える秀忠といい、凛々しい若武者となった秀頼といい、歳月の経つスピードがことのほか速い。そういえばこの物語の主人公もまたいつのまにか顔には髭をたくわえ、父の着ていたダウンベストを羽織り、いい加減な感じもしっかりと受け継いでいるように見える。いよいよ最終章と番宣は煽るが、彼の内側はそんなに成長はしていない。結局全部あんな感じだと思う。 PS 長澤まさみの菩薩ぶりに笑う。でも彼女、キリシタンじゃなかったっけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/10/02 11:08:48 PM
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