カテゴリ:演劇創作
今日から12月23日公演に向けて、稽古が始まる。
今回で3回目の出演の子、初めての子。こうやって子ども達を教えていて何が財産になるかというと、続けてくれることがとても財産になる。初めて演劇創作を経験する子は当然、教える私に依存し、教えられているという受動態に立つのだが、経験し、また新たに加わった子達に一から教えると「知ってる」と自己主張するようになる。つくづくこの「知ってる」という発言に、学校教育の歪みというか、競争社会の結末を感じることは否めない。「知ってる」ということと「解っている」ということ、そして「出来る」は違うのである。そこで私はいつも、「知ってる」子には「知らない子に教えることが仕事」と教える。「教える」という行為はとても難しい。自分がきちんと理解していないと「教える」ことは出来ないし、自分が出来ないと「伝える」ことが出来ない。口だけ動かして身体が動かない子は、その周りの環境もそうしているのだなとすぐ判る。その逆も然りである。大人に、行動(失敗)を奪われた子、言葉(自己発言)を奪われた子、子どもは親が無くても強く生きていける。まだ観たことないからわからないのだが、映画「誰も知らない」はそういうところもベースになっているような気がする。「千と千尋の神隠し」や「ほたるの墓」もそうだろう。その子の精神成長は、「経験」以上の他はない。だから子どもの頃に苦労した子がしっかりしているのである。若いうちは、いくらでも苦労すべきである。又は、興味を持ったことに対して行動を阻止しない方が良いのかもしれない。まあ、それが犯罪に結びつくことであれば、その子と議論するべきだろう。全て、頭ごなしにダメダメでは、何故ダメなのか、身にしみてわからなくなるのだから。私はそんな子ども達の葛藤や、成長、そしてその子の自由を見守られるこの仕事がとても勉強になるし、好きだ。私も少しは、大人になったのかな?子どもたちが伸びやかに、生き生きと、そして自分の足でまっすぐ立つ姿を、応援していきたい。 夕方、KさんがsちゃんCMを見せてくれた。だんだん完成に近づいている。しかし、私もダメ出し多いなあ。 それからお月見コンサートを見に、フルーツパークへ。バイオリンとピアノの演奏は、学校教育というか正当というか、そんなことを感じながら聴いていた。どうして作品にその人物の姿って出てしまうんだろう。それから、メインの笛。Iが笛を習いたいというので、正直あまり興味がなかったのだが、とにかくMCが上手いというか、とても面白い方だった。小池裕二郎さん。鰻&どじょう屋のご主人だそうで、笛は都田の竹やぶの竹を使った自作なんだそうな。6歳からお父さんに笛・三味線をやらされたとかで、粋な人である。人柄といい、笛の音といい、そして使われる言葉といい、粋なのである。「だから日本の楽器はしびれる」という表現が特にそ方の立ち振る舞いが見えて、素敵だった。最近特に、自分の日本語の貧困さに頭を抱えていたので、教育してもらいたい。お店もうちの近くだし、Iは笛を、私は可能なら舞を習ってみたい。帰りにお話を伺って、「仕事5割、笛5割で、やらないとね」とニコヤカに答えてくれたのだが、きっと仕事にもこれだけの拘りをもってやってらっしゃる方なんだろうな。Iのあのイキオイだと、明日も弁天島へ追っかけするらしいぞ? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004/09/26 09:24:34 AM
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