受容共感???
多くの保育や教育や児童館の現場で「受容・共感」の手法が大切であると言われている。しかしながらその手法は間違いであると私は最近強く感じている。 本来的に受容共感はロジャースの臨床心理の手法である。ロージャースは素晴らしい人格者である。ロジャースのような素晴らしい人やまた臨床心理学をきちんと学習して人の持つ悪魔性なども含めて自分の中にあることをきちんと自分自身の心を教育分析を出来た人が受容共感の手法を使うことは有用である。 受容共感の手法を使用すると相手の心の奥底にある悪魔性や魑魅魍魎などがぞろぞろ出てくることがある。これを普通の人は受け止めることも共感することも出来ないのである。ところがあたかも「そうですか。その気持ちわかります」などと受容したり共感したりするとどんどん心の奥底が出て来てしまいます。そうすると自分自身に悪魔性や魑魅魍魎があることを自覚できていない人は最終的に対応できなくなって需要共感した人を見捨てることになるからである。結果的にその人の問題行動を悪化させるだけでありよいことは一つもないのである。 そこで私は安易に受容や共感をしてはいけないと提案したい。相手の話をきちんと聞いてあげることは必要である。また自分が相手の立場になって考えてみることも必要である。しかしながら結果的に自分が理解できないならば「あなたの言うことはやは私には理解できない。またそうしたことはしてはいけない。だめなものはダメ。」と伝えるべきである。 北風と太陽の話を出してきて、人が問題行動を起こすのはみんなが北風のようにするから、太陽のように暖かい声かけをしてやれば紋d内行動は少なくなるとの主張をする人も多い。残念でした。現場はそんなに甘くはないのです。暖かい声かけをしても問題行動は悪化するだけなのです。 人が問題行動を起こすのは我慢ができる耐性が低いからなのです。世の中を生きていくことはそんなに生易しいことではありません。いろいろなストレスやすれ違いもあります。それにどのように対処していったら良いかを学習して欲求不満耐性を高くする必要があります。したがって有用な手法は「受容共感」の手法ではなくてロールプレーや劇遊びや体験的な行動療法的な手法や運動などでみんなと遊ぶなどの手法です。また自信を持たせるためのけん玉やローラースケートや折り紙やダンスや音楽などでしょう。こうしたことを取得するためには繰り返しと我慢と訓練が必要です。我慢や繰り返しや訓練を嫌がらずにやれるような手法を私達は持つべきなのです。 保育園の年中時代から小学校の3年生くらいまでの子ども達には様々な行動療法や作業療法や遊び体験が有用です。「受容共感」などは役には立たないばかりでなくて逆効果になることが多いのです。そして受容共感派が悪質なのは問題行動を起こすのはみんなが受容共感しないからだと自分達の失敗を他人に雄押し付けることが多いことです。 「子どもの権利」「ダメとは言ってはダメ」「体罰の禁止」「受容共感」などの主張をする人の多くはその言葉の甘さは快いけれど結果が悪いとの点で共通しているように思います。