ニッポンの製造業を底辺で支えてきたモノ作りの街で、中小企業の廃業が続出している。戦後の高度成長期に創業や引継ぎをしたオーナー経営者の大半が、引退の時期になっている上、せっかく培った技術を引き継げる後継者が存在せず、廃業するケースが頻発しているのだ。グローバル競争にさらされる大企業からは、常に厳しいコスト削減と納期を要求され続け、技術も磨く必要がある。厳しい現実に、明るい未来を見出す若い世代は少ない。
そして、「モノ作りニッポン」に忍び寄るもうひとつの危機。それは、疲弊し切り捨てられていく、地方経済。 強大化した中国が、日本製造業への買収に乗り出し、その後容赦なく日本の工場・従業員を切り捨てていく・・・。そんな、悪夢のような事態がニッポンのモノ作りの現場で実際に起きているのだ。
世界的な技術力を誇りながら、内なる後継者問題と、グローバル競争の荒波にさらされる、日本のモノ作りの実態。再び、力強く成長させる手立てはないのか?
「モノ作り立国」で起きている実態をドキュメントする。
後継者がいない!東大阪で廃業続出・・・。
中小企業白書によると、後継者難を理由に廃業する企業は約7万社に上る。この数字の背景には、厳しいコスト競争にさらされる事業を引き継ぐことに、若い世代が二の足を踏んでいるのだ。モノ作りの街、東大阪。1983年に1万社を超えた企業の数は、約6400社にまで減った。廃業した工場の跡地は、住宅やマンションに代わり、東大阪を代表する工場集積地も、様相が一変した。日本各地でモノ作りに忍び寄る、危機。廃業続出する東大阪の工場街を取材した。
中国企業に買収 そして捨てられた工場…
2006 年8月、中国・太陽電池大手の「尚徳太陽能電力(SUNTECH)」が、日本の太陽電池メーカー、MSKを約345億円で買収。中国企業による日本企業の買収では、過去最大となった。福岡県・大牟田市にある工場は、2004年にMSKが建設したばかりの工場。新しい産業が街にやってきたと、歓迎されたが、今年1月、中国の本社が、大牟田工場の閉鎖を突如決定。太陽電池部品の生産を中国に移管してしまったのだ。雇用を失いかねない事態に、困惑する従業員たち。「太陽電池」という新しい分野で、働く意欲に溢れていた大牟田の人々に、激震が走った。
悪魔か?救世主か?その時、ファンドが現れた…。
破たんした旧長銀で地獄を見て、転職した米シティバンクで、九州の富裕層開拓に奔走し成功を収めた、凄腕金融マンがいる。森大介さん(38)。今年5月、後継者難に悩む地場の中小企業を支援しようと、地銀などの協力を得て、新しいファンド(総額48億円)立ち上げた。その森さんが、九州の地域再生のために、目をつけた案件。それが中国に捨てられた、MSK・大牟田工場だった。
さっそく森さんが動いた。去年MSKで中国との買収交渉に当たった元幹部を、社長・会長に抜擢。工場の従業員とともに、EBO(従業員による事業買収・経営権の取得)を提案したのだ。約9カ月。大牟田工場を見捨てた中国企業から、事業引渡しの承諾を得た他、大手商社などからの出資も受け入れ、着々と新会社設立に向け動き出していた。しかし、工場の担保設定をめぐり、商社などとのの意見相違が・・・。新会社の設立に、出資企業の思惑が交錯し、暗雲が立ち込め始めていた・・・。
工場に戻ってこい!人生をかけたスカウト
一方、新会社の発足を11月に控え、大牟田工場では、従業員たちが、辞めて行った仲間を工場に呼び戻そうと、採用活動を始めていた。しかし、採用担当者は言う。「突然、工場閉鎖を聞いた、あのときのことがトラウマになっているんです…。また、同じことが起きるんじゃないのかって.。そんな人たちに、大丈夫だから戻って来いなんて言えますか?・・・」だが、残された時間は少ない。工場の稼動のためには、今の35人の約3倍の100人が必要になる。採用担当者は、仲間の従業員を回って説得を続ける一方、社長は、原材料メーカーを回り、製品を作るのに必要な材料の調達に奔走する。中国資本に見捨てられた、九州の地方工場。ファンドと手を組み、独立して技術力を再生できるのか?
11月1日。再生した新しい工場が、稼動の日を迎えた・・・。
後継者を決断せよ・・・ある創業者社長の苦悩
茨城県・ひたちなか市。新熱工業は、従業員70人。工業用ヒーターの開発を手がけ、工場設備、さらに大手コンビニや、飲食チェーン店などの厨房に必要なフライヤーを生産している。国内シェアは約7割。技術力に定評がある中小企業だ。
社長の大谷洋史さん(68)。43歳で起業した大谷さんは、後継者のことなど考えず、走り続けてきた。会社が25周年を迎える今年、会社の行く末に不安を持つように…。中小企業の経営者として、簡単に後継者を任せることは難しい。
そこで、東京のアパレル会社で働いていた、長女・直子さん(36)を説得。直子さんはひとり、10月から東京の中小企業大学校で、住み込みで勉強を始める。会社の財務から、経営の基礎を寮生活の缶詰生活で学んでいく。そこには全国から、同じ境遇の中小企業の社長の子息が集まり、学んでいる。中小企業の後継者候補として、直子さんの勉強の日々が続く・・・。
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最終更新日
2007.11.06 14:58:56