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カテゴリ:ドライブ&道の駅
![]() IMG_2330 posted by (C)Traveler Kazu 羽後牛島駅の近くで見つけた、古い町名案内図。 昭和58年(1983年)秋田市設置。 図の上辺がほぼ北です。 「柳原新田」と言う地名が見える。 新田地名はおおよそ、そんなに古くない時代に新規に田んぼが開発されたところで、全国各地に見られます。 現在、「柳原新田」地名はなくなり、「卸町○丁目」になっています。 各種卸業者の社屋が集まった「卸センター」として住居表示と区画整理が行われ、田んぼはありません。 羽後牛島駅南に見える「牛島字東潟敷」。 この辺は(新田も含め)雄物川河畔ならびに猿田川、古川の低湿地であったため、このような地名で呼ばれました。 ここも住居表示が行われ、「牛島南○丁目」となりましたが、ごく狭い地域だけ取り残され、「牛島東潟敷・西潟敷」「牛島谷地」という地名が残っています。 実態は、中堅の住宅団地です。 しかし、これよりもさらに線路から離れると、牛島・仁井田の古い集落が、昔のレイアウトのまま残っています。 そして… 牛島の駅から西に線路を表す旗竿記号が伸びています。 これが、昨日の記事で紹介した「東肥線」(コープケミカル専用線)です。 このころは、まだ線路があって列車が走っていました。牛島駅で国鉄の貨物列車から分離された貨車が、専用機関車に牽かれて茨島工業地帯にあるコープケミカル(肥料工場)と、その隣の三菱金属の工場に入っていたそうです。 更に古い地図を見ると、この「東肥線」の途中に分岐があり、国道7号線沿いにあった空き地(現在の茨島イオンタウン、秋田モータースクール、ABSラジオ送信所敷地)まで線路があったようです。 現在、「東肥線」と、途中分岐線どちらも、ほぼそのままの形で道路になっており、分岐線の方はいかにも鉄道…といったカーブが住宅の間を縫っています。 私も国道の下をアンダーパスする線路は見たことがありますが、あいにく、列車が走っているところを見たことはありません。 どなたか、写真をお持ちでないでしょうか。拝見したいものです。 専用線終焉期には、ファンが大挙訪れたのでしょうか。今でも、三菱マテリアル正門には「構内撮影禁止」の古い看板が立っています。今では、撮る人もいません。 Yahoo!地図 …図内中央を東西に伸びるまっすぐな道路が、「東肥線」跡。その途中から「スポーツデポ」の方に伸びているゆるいカーブの道路も線路跡。 国土変遷アーカイブ …1962年撮影の、まさに「東肥線」の真上から撮影された空中写真。分岐線も、牛島駅から北に延びていた謎の専用線も、更に、雄物川の南岸の新屋駅から北に延びていた食糧倉庫専用線もバッチリ写っています ![]() (解像度200dpiにすると、大きな画像を見れます) ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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