3098270 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

売り場に学ぼう by 太田伸之

売り場に学ぼう by 太田伸之

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

Nobuyuki Ota

Nobuyuki Ota

Calendar

2023.08.19
XML
カテゴリ:ファッション
​(前項からのつづき)​

1985年3月初めて西麻布の割烹店でご馳走になってから、三宅一生さんとは何度も会食しました。

数人でのディナーもありました。そのほとんどはマスコミ関係者との懇親会。感情の激しい天才肌クリエイター、マスコミに創作意図が伝わらない、あるいは誤解されて批評されると直接ジャーナリストに電話して怒りをぶちまけることもありましたから、よく仲介役を引き受けました。信頼していた三宅デザイン事務所副社長の小室知子さんには「俺はおたくのプレスみたいや」とぼやいたものです。


ジャーナリストとの懇談会、右端横顔が私

二人だけで出かけることはもっと多かった。メディアに頻繁に登場する世界的デザイナー、しかもサントリーのTVコマーシャルにも出演したので顔は売れている、どこに行っても三宅さんは目立ちます。知らない人から飲食店で声をかけられたり握手を求められたりするたび、その直後に表情が曇りました。有名人扱されることがとっても嫌いでしたから。

ファッション業界人がたくさんいる青山、麻布、六本木の飲食店ではすぐに誰かと遭遇するので、私たちは港区以外のお店を利用するようになりました。当時はファッション業界人をあまり見かけなかった日本橋人形町、神楽坂、荒木町、港区でもサラリーマンの街新橋にもよく出かけ、青山界隈で利用したのは青山通りにあったブラッセリーDだけ。ここは支配人が三宅さんのケアが格別だったので。

三宅さんはいかにも政財界人が利用しそうな料亭風やハイソなレストランが大嫌い、庶民的な雰囲気のお店の隅っこのテーブル、カウンターの端っこが好きでした。パリでも有名シェフの星付きレストランではなく、いつも家庭的な料理を出してくれるビストロやカジュアルなブラッセリー。あまりお酒を飲まないグルメ、好みはいたって庶民的、そういう人柄でした。

パリコレやニューヨークのファッションウイークでは、多くのファッションエディター、バイヤーはその日にコレクション発表を予定している有力デザイナーの服を着てショーに出かける、あるいは有力デザイナーが2人の場合は一度着替えに戻ってショー会場に行くくらい気をつかいます。デザイナーの気持ちを考えれば、自分たちのブランドを着用して会場に来てくれたら嬉しいに決まっていますから。ましてデザイナーとディナーするならもっと気をつかいます。

が、どんなデザイナーさんと食事するときも、申し訳ないんですが私はいつも愛用している服を着て出かけます。当時の私は1年365日コムデギャルソン(オムとプリュス)、舐めない媚びないが生き方モットーですから、相手のデザイナーさんの服を着て食事することはありません。何度も飲食を共にした三宅さんは毎回コムデギャルソンの私にきっとおもしろくなかったと思います。

​​そんな私も一度だけ気をつかったことがあります。突然電話をもらい、「倉本聰さんのステージを観に行きませんか」と誘われた日、私はたまたまプリュス(メンズのコレクションライン)の目立つ服を着ていました。さすがにこのまま劇場に行ったら気分悪くなるだろう、でもオフィスから徒歩3分のイッセイミヤケ直営店で購入すればバレるに決まっている。そこで部下に「イッセイミヤケ店で俺が着てもおかしくないようなカーディガンを買ってきてくれないか」と頼みました。

部下が買ってきてくれたカーディガンは前から見れば黒無地、背中には白い横線が2本入ったプレーンなものでした。私はこれを着て劇場に出かけ、観劇の後一緒に食事に行きました。しかし、三宅さんは気がつかなかったのか、カーディガンのコメントはなかったです。

あれは1998年のことだったでしょうか、二人で食後の一杯をしていたら突然「僕はイッセイミヤケのデザイナーを辞めて別の仕事をやろうと思っているんです」。びっくりしました。さらに「あとは滝沢(直己)にやってもらいます」、これにもまたびっくり。毛利巨男さんが去ったあとのイッセイミヤケを支えたのが小野塚秋良さん、その次の世代はプリーツ開発で貢献した滝沢直己さん、この時点で後継指名されるのは別会社でズッカを手掛けている小野塚さんだと思っていました。


バトンを渡された滝沢直己さん

飲んでいるテーブル席の周辺にもしマスコミ関係者がいたら「三宅一生、退任」とすぐにスクープされそうな重要な話。それだけ外部の私を信頼してくれた証かもしれませんが、とにかくびっくり仰天でした。

前述ジャーナルドゥテキスタイル紙のランキングでもまだ上位にいる人気も実力もあるデザイナーが、自分から退任して後継者にバトンたちするなんて前代未聞。オーナーデザイナーの交代劇は、人気が急落してブランドのブラッシュアップが必要と判断された場合、もしくはご本人の急逝による交代はありますが、現役バリバリのままバトンタッチなんて聞いたことありません。

パリコレ参加のトップデザイナーは、6カ月ごとコンスタントに世界的ヒット曲を出さなければならないミュージシャンのようは存在。デビューして25年、婦人服だけでも50回はコレクション発表をしてきたデザイナーには、6カ月ごとのハイペースではなくもっとじっくり腰を落ち着けて創作活動をしたいと思うところがあったのでしょう。自身が立ち上げたイッセイミヤケはバトンタッチするもののクリエーション活動そのものは生涯ずっと続ける、すなわちデザイナー引退ではないという気持ちでだったでしょう。

ところが、パリコレ開催期間に現地でデザイナー交代を発表したら、日本の新聞社が「引退」と記事にしました。事前にプレスリリースを受け取っていた私でさえ、きっと誤解するメディアが現れるぞと心配する書き方でしたから。案の定、引退報道が出て現地でも日本でも大騒ぎになりました。

過去に同じような交代劇の事例があるならば、コレクションブランドのデザイナー交代であってもデザイナーとしての引退ではないと想像つきますが、そんな事例はこれまでないんですから引退スクープは仕方がなかった。

三宅さんは還暦を機に滝沢さんに基幹ブランドをバトンバトンタッチ、その後も精力的にA-POCや1325.イッセイミヤケのデザインを続け、我が子のようにプリーツプリーズの企画監修を行い、これとは別に東京ミッドタウンに作った21_21デザインサイトの企画に従事、クリエイターとして多忙な日々を過ごしました。


DNAを感じさせる現在のイッセイミヤケ

三宅さんからバトンを受けた滝沢さんのあと、藤原大さん、宮前義之さんとデザイナー交代は続き、現在5代目の近藤悟史さんがパリコレで発表しています。5代目になると創業デザイナーの臭いは薄くなるものですが、DNAがしっかりしているので現在のところブレはないように感じます。​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.08.19 19:14:21
[ファッション] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.