3098568 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

売り場に学ぼう by 太田伸之

売り場に学ぼう by 太田伸之

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

Nobuyuki Ota

Nobuyuki Ota

Calendar

2024.02.23
XML
先日、かつて同じ職場で働いた仲間で私が指導する社内研修の教え子、現在は諏訪湖の近くで会社を経営する小畑啓くんから会食のお誘いがありました。なんでも彼の叔父さんがイタリアの由緒あるワイン醸造村「カステッロ・ディ・ルッツァーノ」でワインをつくっていて、それを日本で輸入販売している人を紹介したいとのことでした。待ち合わせ場所は南青山4丁目にあるテーラーDrapper Hope、この店の代表でもある中野洋平さんを訪ねました。

中野さんは神奈川県のサッカー高校としても有名な桐光学園の背番号10だったとか。製薬会社勤務を経て突然テーラーを起業したのは、サッカーで鍛えた身体にドンピシャサイズの既製服がなく、オーダーメイドは値段が高過ぎる、もっとリーズナブルなオーダー服をつくりたいという理由から。ファッションの世界での経験はゼロだった人がテーラーを開業とは驚きです。中野さんはご縁があって小畑くんの叔父さんがイタリアワインの販売も手がけることになりました。


​中野洋平さん(右)と小畑啓さん(中)とビストロで記念撮影​

南青山のテーラーから西麻布のビストロ「帝国食堂」に移動、美味しい料理と中野さんが持ち込んだワインをたっぷりいただきました。バランスの取れた私好みの白ワイン、早速知り合いのソムリエやレストラン事業者を紹介することに。ワインのことはこちらをのぞいてみてください。ほんとに美味しいです。
www.castelloluzzano.it

ここでの本題はこのワインではありません。小畑くんのご両親のことです。

2009年5月、当時私が社長をしていたアパレル企業の株主総会の夜、私は部長以上の幹部およそ20人を銀座7丁目のおでん屋「力」(りき)の2階座敷に集めました。そこそこお酒が入ったところで、「来年社長を退任するぞ」と宣言。業務革新が終わったら雇われマダムを退いて生え抜き社員にバトンタッチするつもりでした。社長就任当初、会議で「定数定量」と私が言えば下を向いてクスクス笑っていた社員たち、マーチャンダイジングの基礎を教え続けたら若手社員でさえ定数定量を意識して仕事をするようになりました。つまり私の役目はそろそろ終わりと思っていました。


銀座おでん屋・力

でも幹部たちは「冗談でしょ」と知らんぷりでした。が、翌年5月の株主総会の夜は同じ銀座の力で社長退任慰労会でした。前年の宣言通り私は社長退任し、生え抜き社員を後継に指名、総会で正式承認されて肩の荷が下りた楽しい宴席でした。いつも大人数でおしかける私たちをケアしてくれたのが小畑くんの母上。残念ながら数年前に急逝されたと先日聞きました。

太平洋戦争の米軍空襲で東京は焦土と化したけれど、銀座はほんの一画だけ焼けずに建物が残りました。その燃えなかった古い1軒家を借りておでん屋をやっていたのが小畑くんの父上、小畑豊さんと奥様。関東風の濃い味ではなく、小畑さんのつくるおでんは昆布の出汁がきいた関西風の優しい味、関西圏生まれの私にはぴったりの味でした。だからことあるごとに利用させてもらいました。

小畑豊さんのご先祖が慶應義塾の塾長だった小泉信三さんと関係が深かったことで、小畑さんは幼稚舎からの慶應ボーイ。ところが慶應義塾大学を中退して大阪の有名な料理人「㐂川」店主の上野修三さんに弟子入り、料理の道に転じました。㐂川育ちですから関西風の出汁だったのです。ちなみに啓くんはその頃大阪で生まれ、ご両親の転居で東京育ち、そして大学は私の後輩にあたります。


​力の小畑ご夫妻​

1995年、大親友の急逝に直面して私は本当にやりたい仕事をやろうと東京ファッションデザイナー協議会議長を退任。当時松屋社長だった古屋勝彦さんに誘われて百貨店に移籍、社員たちにマーチャンダイジングを教え始めました。外部の人間がそれなりの立場で老舗百貨店の組織に入って業務革新をやろうというのですから、社内にいろんな抵抗や軋轢が生まれます。

このとき幹部社員たちとの飲み会に私を何度も誘って融和の機会を与えてくれたのが創業家一族の専務取締役古屋浩吉さんでした。古屋さんには銀座、浅草のお店を何軒も連れていってもらいましたが、そのうちの1軒が銀座の力。古屋浩吉さんはその後松屋社長に就任した後相談役のまま2018年に亡くなりましたが、私はいまも古屋さんに連れていってもらった焼き鳥屋、蕎麦屋、カウンターバーなどに通っています。

実は力の小畑豊さんと古屋専務は慶応の同期、いわゆる竹馬の友。啓くんが松屋に就職したのもおそらく古屋専務の勧めがあったからでしょう。私は若手社員が力のご夫婦の息子だと最初は知りませんでしたが、力にお邪魔するたび小畑くんの母上は「うちの息子、ちゃんと仕事していますか?」と声をかけ、啓くんが退社して奥さんの実家の家業を継承するため諏訪に移住したら「ちっとも東京に帰って来ないんですよ」と漏らしていました。寡黙な料理人の父上、客あしらいのうまい明るい母上でした。

先日中野さん、小畑くんとの雑談の中で面白いつながりがわかりました。イタリアでワインをつくっている叔父さんの奥様の旧姓を聞いてびっくり、神戸の灘地区で有名な珍しいファミリーネームでした。

数年前、かつて古屋浩吉さんに連れて行ってもらった銀座のカウンターだけの小さなバーでのこと、松屋の歴代幹部をよくご存知のママさんと会話する中でお互い会社名を「М社」と言っていたら、隣席の男性客が「すみません。М社は銀座交差点に近い方ですか、それとも遠い方ですか。私のいとこが遠い方のМ社の....」と名刺交換。某大手食品メーカー役員Hさんでした。

このHという姓名にピンときました。私をスカウトしてくれた古屋勝彦社長の奥様の母上の旧姓がHです。非常に珍しい姓名なので何代か遡れば小畑くんの叔母さんとは何か関係があるのかもしれません。叔母さんの父親は大手総合商社の元幹部、海外駐在も長く叔母さんは海外で育ったそうですから、きっと灘の富裕層でしょう。

小畑くんの父上が慶應で仲良しだったのが古屋浩吉さん、母方の叔母さんの旧姓Hは古屋勝彦夫人の母上の旧姓と同じ、小畑くんによれば彼のご両親も古屋浩吉さんも恐らくご存知なかっただろう、と。ちなみにM社前社長は古屋勝彦夫人の弟である秋田正紀さん(現会長)、現社長の古屋毅彦さんは勝彦夫妻の長男です。

さらに、小畑くんと仲良しの格闘家が所属する団体の会長はいろんな大臣を歴任した元代議士の深谷隆司さん、その甥っ子と結婚したのが古屋浩吉さんの次女です。また、小畑豊さんの料理の師匠上野修三さんの共著「酒肴 日本料理」(小畑豊さんが大事にしていた本)のパートナーはテレビでもおなじみ道場六三郎さん、道場さんの孫は私の息子たちの有機栽培農場で働いています。いろんなつながりがあるんです。

たまたま元教え子の叔父さんが手がけるイタリアワインを飲むために集まったのですが、いろんな話をするうちに小畑家の「ファミリーヒストリー」(NHK番組)みたいになりました。不思議なつながり、世間はほんと狭いです。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.02.25 00:13:45
[ファッションビジネス] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.