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(次に紹介するのが、大くんのベッドの横に貼られていた紙です。21歳の青年が書いたものです。10歳から19歳まで不登校だった人間が書いたものです。大くんにとって最後の3年間は一日一日が10年間を取り戻すかのごとく、熱い毎日だったのでしょう。20歳を超えたばかりの人間がこんなにも熱く生きていたのです。僕らもがんばらねばなりません)
<己の役目、到達すべき場所(2001.4.13)> 俺が人生において果たすべき役目は、人から「すごい」といわれる人間になること。 そして、俺を「すごい」と思った人間の人生をよりよいものにすること。俺が人の目標になり、希望になるのだ。 目標を追い、希望を追うものの人生は常に前向き、積極的である。そのとき人は、「人間」として生きている。 俺と触れ合った、俺を見て感動した人を、ひとりでも多く輝く人生へと導く。俺が意識的に何かをする必要はない。俺の存在そのものが、俺の言動が人を揺り動かす。そして、人生において走り出したい衝動に駆られるのだ。 おれはそういった存在になる。そういった存在になることを己の運命とし、生きることをここに誓う。 そのためにはなにをすべきか。 まず第一に、絶対積極の境地で意志し続けることだ。そこに達すれば、人によい影響を与える存在になる。俺の人生も光にあふれ、幸福となる。 まずは、自分が幸福にならねばならない。常に幸福であるためには、絶対積極の境地に達すること。そして、常に俺の意志を体現し続ける事だ。常に積極的であるように心がけること。言葉、観念、行動を常に積極的たらしめれば、知らずしらずのうちに絶対積極へとたどり着く。 第二に、現象面の目標であるWRCドライバーズチャンピオンになるための俺以外に持ち得ない能力を体得すること。能力は大きく分けて、現象面サイドに属するものと内省面そのものに属するものがある。 現象面サイドのものは、1/1000mm単位のマシンコントロール能力と、道とクルマの「声」を聞く能力である。1/1000mm単位のコントロールはいわずもがなである。 道とクルマの「声」は、ことラリーにおいては必須となる。全SSのコースの把握、刻々と変化する路面状況とマシンコンディション、メカニカルトラブルを防ぐ方法あるいは発生時期の感知、ベストのラインどり、ベストのブレーキング、べストのギア、ベストのステアタイミングと切込み角、ベストのアクセル開度など、それらを統合して最速の走りを実現させる。 これを実現せしめるには、毎日毎晩走りこむしかない。また、サーキットやダートトラックに通い、ひたすら経験を積む。そして、常に「実現できる」と信念して走り続けることだ。 内省面サイドのものは、内省面から現象面に働きかけ、限界を超えた速さを引き出すとともに、俺の意志と信念を人に認識させること。俺に起こるすべての奇跡的事象は奇跡などではなく、俺の意志と信念によって引き起こされたものだ。 これが重要である。この能力は、絶対積極の境地にいることと、1/1000mm単位のマシンコントロール能力および道とクルマの「声」を聞く能力を体得した上で、はじめて可能な業である。俺の人生の意味、俺の存在そのものの体現でだ。 まさしく奇跡そのものである。そう人には見えるだろう。しかし、これは俺がもっともおれらしいとき、つまり意志と信念そのものになったときに現れるものだ。おれにとっては自然なことなのだ。 おれは、絶対積極で意志し続ける俺らしい俺になる。 そして、光の人生を歩む。おれのまわりにいるもの、おれを見て感動したものの先頭を行き、幸福のただ中、光となって走り続ける。 期限:2002年5月(22歳) 1/1000mm谷でのマシンコントロールをマスターする。 道とクルマの「声」を聞けるようになる。 おれは意志と信念のかたまりだ。 おれは力の結晶だ。 おれは人間を極めるものだ。 おれはどこまでも走り続ける者だ。 おれは、なにものにも打ち克つ、比類なき存在だ。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 今村より天国の飯村大君へ(2002年5月、お葬式にて) 大君、君の事故を2002年の5月に聞いたよ。2002年5月が期日の目標の1/1000mm谷でのマシンコントロールと道とクルマの声は聞けたかい? 今、幸福のただ中、光となって走り続けているのだろうな。君はもう俺を飛び越えてしまい、多くの人にメッセージを伝えられる凄い奴になったよ。悔しいけど、俺はもう一生、君には追いつけない。 大君、君が残したほんの3篇のメッセージを見ただけで、君がいかに一生懸命で充実してやりがい、生きがいのある人生を札幌でおくっていたかよく伝わってきた。そしてなんて積極的に深い優しい愛情に包まれた人生を歩んでいるかもよく伝わってきた。 君が残してくれたメッセージを読み、僕は4年前にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。当時、僕も長かった闘病生活を終え、「この苦しかった経験を味わった俺にしかできないことがある。俺の生き様を通していろんな人を救ってやろう」と志を持って塾を始めた。 今、ふと気づくと生徒数はあのころの10倍以上になっている。でも頭の中には「顧客満足度を上げないと」「クレームがあったら迅速に処理しないと」「成績を上げないと」「どうやって偏差値を上げさせようか」「マネジメントをどうしようか」「システムをどうつくろうか」「報告、連絡、相談をしっかりさせないと」・・・・ 気がつくとそんなことばかり考えるようになっていた。あのころ、一番、俺たちが恥じていたことだよな。あのころは20人しかいなくても、みんなが自分らしさを見つけられる空間だった。今でもあのころの仲間は誰一人普通の生活はしていないけど、誰もが輝いた人生をわくわくしながら生きているよ。なぜ、おれだけがたったの3年でこんなに変わってしまったのだろう。 大君はアシストの歴代の生徒の仲で一番の優等生だった。大君より勉強ができる生徒はたくさんいる。でも、君ほど自分の人生を変えた人は他にはいない。君ほど明るく前向きに積極的で他人に優しい生徒は他にはいない。それもたくさんの苦しかった事、つらかったこと、悲しかった事、困難を乗り越えて手に入れた優しさだからなおさら深くて強い。 俺が「こんな人間を育てたい」と思っているすべてを具現化したような奴だった。だから君がレーサーいなる夢とともに「俺がこんなに積極的になれたんだから、今度は俺がみんなにこれを伝えたい。夢を持つことと、一生懸命がんばることを今度は俺が伝えるよ。ずっと登校拒否をしてきた俺だからできることがある。俺にしかできないことがあるんだ。今村先生のところで塾の勉強をさせてほしい。俺はレーサーになって、同時にアシストを札幌でも広めるよ」と言ってくれたときは本当に嬉しかったぞ。 君がにこにこし、わくわくし、いつも楽しそうに俺に何か報告してくれる姿ばかりが思い起こされる。俺にとって救いだったおはあのころの俺の遺伝子が君の中に残っていた事だ。 その遺伝子が君のメッセージを通じてまた今の俺に帰ってきたことだ。 大君は俺の誇りだ。創業の魂だ。俺はもう一度、第二、第三の飯村大を育てて見せる。与えられた命を燃焼させる生き方を伝え続けていくよ。一生、君のことは忘れない、大君、安らかに眠ってくれ。そしてずっと俺たちを笑顔で励まし、見守ってく れ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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