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小学校時代のクラスメイトの女の子が横浜に来てくれたので、積もる話がたくさんあり、一昼夜いろんな話をしました。
そんな中、地元に居残った彼女はいろいろと地元情報に詳しく、こんな会話がありました。 「○○くんはどうしてる?」 「飛び降りて死んじゃったねー」 「えっ?△△はどうしてる?」 「△△も飛び降りて死んじゃっただよー」 「えぇっ!!××はどうしてるの?」 「今は親もどこにいるか、わからないらしい。消息不明だよ」 「□□はどうしてる?」 「この前、奥さんと別れてさー。今、子どもとふたりで暮らしてるよ」 「☆☆はどうしてる?」 「生きてるかなぁ。。。」 なんだかとても切なくなってしまう話でした。 横浜の元不良で大活躍している旧友もたくさんいます。 田舎の元不良はやくざにならなかった人間は、行方がわからなくなってしまった人間がたくさんいます。 自分から命を絶ったり、家族にも行方を告げずに行方不明になる(生きてるのかもわかりません)というのはどんな気持ちだったのでしょうか。 彼女に「つらいことが夢や希望よりも大きくなってしまったときに、命を絶ってしまうのかなぁ?」と話したら「必要とされなくなってしまったときかもしれないね」と彼女が教えてくれました。 人は孤独になってしまうと本当に弱くなってしまうものなのでしょう。 今日、やることがあることは有難い。 今日、関わっている人がいることは有難い。 普通でいられることは有難い。 一人じゃないことは有難い。 家族がいることは有難い。 普通でいられることが有難くて、しみじみといろいろ感じてしまった旧友との再会でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月16日 01時45分12秒
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