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2024年05月02日
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一度目の乳がんの手術の後、退院して初めて診察室に赴いた私に、いきなり担当医がパソコンの画像を私に見るよう促した。
そこに映っていたものは、魚の白子を紫に着色して、その中に海藻のヒジキをたっぷり混ぜたような塊だった。
それは私の切除した「癌の塊」だった。紫色は手術の時か後に着色したらしい。
「それ」を見せられると思ってもいなかった私は
「あんなヒジキみたいなモンが体にあったなんて・・・・」
と、そのあと担当医が何をしゃべっていたか耳に入ってこなかった。

二度目の乳がんの手術の後、今度は違う病院で、手術が終わって「とれたてほやほや」の「生の癌の塊」を、手術室横の小部屋でダンナは担当医から見せられた。
銀色のトレイに載せられた「それ」を、いきなり見せられると思わなかったダンナは、体格のいい担当医と看護師さんと自分でぎゅうぎゅうのその部屋で、「クラっ」として若い看護師さんに倒れかかりそうになったのを、踏ん張ってこらえたらしい。
「とれたてだったから、(ほんわり)した匂いにやられた」
と、術後の私に青い顔をして報告した。

体から「思いもかけぬもの」を、しかも「いきなり」見せられたら、医療従事者ではないかぎりその衝撃は深いと思う。
映画やドラマで、江戸、明治、大正時代の設定で、
「ゲホッ」と登場人物が咳をして手で口をおさえる。
そしてその手のひらを見ると血がついていて、その人物はびっくりする、というシーンがよくある。
その手のひらについているのはもちろん「本当の血」ではなく、撮影用のインクだろうし、お茶の間に衝撃を与えてはいけないからか、手に着いた血の量も「ちょっぴり」だ。
そのシーンで伝えたいことは
「自分の体からとんでもないものが出てきた衝撃」
ではなく、
「当時不治の病と言われた(結核)にかかっていること=死に向かっている」
ことをその登場人物や視聴者に提示すること、ではないかと思う。
映像的に「吐いた血」というのはそんなに生々しく表現するのは難しいだろう。あんなインクが垂れたようなものでは絶対ないはずだけど、私を呆然とさせ、ダンナをクラっとさせた「癌の塊」みたいなものを、視聴者に見せてはいけない。

これが小説で表現されるとどうなのだろうと、明治時代の俳人、正岡子規を主人公とした
「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」伊集院静:著
を読んだ。
それまで私は正岡子規という俳人に特別興味もなかったし、もちろん俳句の趣味もなかった。
ただ「結核の描写」がどのようにされているのか見てみたかった。
「三十五歳で世を去った日本文学の未来をひらいた(帯より抜粋)俳人の物語」
を読みたいと思ったわけではなく、
「喉を、息ができないほどのもの」が通過して「口の中いっぱいから溢れ出す」
と自分で想像しているものが、どのように描写されているのだろうか、それを読みたかった。

そんな小手先の技術を(いつか使おうとして)盗み見ようと、畏れ多い真似をしてしまった私には、
あの紫に着色されたヒジキのような「心根」が巣くっている。
それを目の前で「いきなり」見せられてしまった。

「病状を表現する」が「うまく」なりたい、なんて馬鹿だった。
この本を読んで「正岡子規」のことをもっと知りたいと思った。





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最終更新日  2024年05月02日 12時07分51秒
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