Dear,こげんたを読み・・・そして・・・
***************************************************はじめにこれ以降の文章は個人的な考えであり、個人や団体を非難したり、何かに対して悪意、善意を持って書いているわけではありません。また、この考えを押し付ける気もありません。ただ、こんな風に感じて、こういった考えをした人間もいるんだという風に捉えてくだされば幸いです。文章中に不適切な表現や、言葉などがございましたら、お詫び申し上げます。***************************************************昨日、こげんたの最後のご飯を食べ負えた所から亡くなるまでの画像を見ました。まぶたの裏に焼きついてます。まだきちんと心の整理ができていないので、暫くの間はニャンコの姿を見たらこげんたちゃんの姿がフラッシュバックしてしまいそうです。ですが、見たことに対しての後悔はありません。自分の為にも、ちゃんとこげんたちゃんの姿をみたほうが良いと思ったからみたのです。そして、そこにかかれている言葉も、そこの掲示板の内容も読みました。『Diar,こげんた』の本の中には犯人のことや、この画像、虐待掲示板の内容などはあまりかかれていません。それを見て、行動を起こした方々のこと、沢山の人がこげんたちゃんのことで力を合わせたこと、地域運動でニャンコの否認活動を行っている事、保健所の現状などがかかれています。ゆえにでしょうか・・・逆に、犯人や、動物嫌い掲示板のことが気になっていました。そんな折、彼氏が某場所で、動物嫌いの掲示板を見つけました。彼氏は、私がこげんたちゃんの本を勧めてから、ネット等でこげんたちゃん事件や、他の虐待事件を調べていました。本を読む前に、この事件が一体どういったもので、どのような解決をしたことなのかを知ろうと行動する彼氏には頭が下がります。そして・・・その中で、見つけたのです。こげんたちゃんの写真を・・・。彼氏と一緒に写真と現在その掲示板にかかれている内容も読みました。掲示板は、お祭りのようでした。蔑み攻撃する言葉の投げあうお祭り。しかし、その中で少しだけ動物が嫌いな人なら、動物に対してそう感じるんだろうと思えるような文もありました。それを言われると、動物を飼っている側には、反論するのは厳しいなと思う文もありました。しかし、それに対して、まともに反論しているものも、肯定しているものもありませんでした。読み終わる頃には、どっと疲れが来ました。こういったやり取りをすることが楽しいと思っている人たちのお祭り。掲示板はそんな風にしか見えませんでした。私だって、虐待をする人間を笑って許せるような人間ではありません。人の虐待も動物の虐待もなくなればいいと思っています。もし愛犬がこげんたちゃんと同じような目に合わされたら憎しみで動くでしょう・・・。しかし、憎しみで動きながらも何故虐待をした人間がそのような行動に出たのかを知りたいと思うはずです。原因があって、結果があるんですから・・・。その原因をなくしていかなければ何度でも同じことは繰り返されます。だから、相手の事を理解し、お互いにこういったことが起きないようにして行く事が大切だと思っています。私達が見た掲示板には、愛護側の言葉にも虐待側の言葉にもお互いに対しての侮蔑と無理解の気持ちでいっぱいです。お互いの主張を聞いて理解し、どうしたらお互いが衝突せずに、こげんたちゃんのような事件を起こさずに共存できるかを考えるという気がない。ただ、お互いを否定し、攻撃しあう。キャッチボールのできない言葉達。自分の存在を否定してくる人の主張を聞けるでしょうか・・・?こんな反発しあうだけの言葉のやり取りの中で・・・ぽっと虐待側で目立った誰か・・・。それが犯人なのかもしれない・・・。掲示板のやり取りを読み、いろいろと考えをめぐらせている時にふと、そういう考えが沸きました。目立ったゆえに愛護側からは集中的に攻撃され、虐待側では持ち上げられ、精神が壊れてしまうほどに(もしかしたらもう壊されていたのかもしれませんが)追い詰められた誰か・・・。これがこげんたちゃんに対して虐待を行った犯人だったのではないか・・・。そう思ったのです。引くに引けなくなり、自分が書き込んだような虐待をしなければ、そこにいられなくなってしまった人間。そして・・・実行。実行した写真を公開して、それをみた虐待側の人たちにも、衝撃が走ったと思います。(思いたいです)しかし、その人たちにも犯人と同じように、引き下がれない状態になったのではないでしょうか?『自分たちが煽った事を今更撤回して"これは酷い事だ"と言う訳には行かない』自分たちが煽ったことに関連する事件に対し、もし、酷い事だと思ってもあのような閉鎖された空間ではっきりと『それは酷い事だ』と主張できる人間はいるでしょうか?それができる人だったら、こういった掲示板にはいないですよね・・・。では、衝撃を受けても主張する事ができない人はどうするだろう・・・。みなかった事にして、表にでないように(掲示板に書き込み等しないように)控えるか、それを賞賛することで、その場の中で自分の立場を確立するしかないのでは・・・そう考えました。実際には、違うのかもしれません・・・私の勝手な想像でしかありませんから・・・。でも、動物が好きで、犬と家族として暮らしている自分達。種族の違う私や家族とテリーが、信頼して、お互いが寄り添って熟睡できるくらいの信頼関係を築くには、何度も問題が起き、その度にぶつかり合いました。そして、お互いにここまでは許せる。や、こうすっればぶつからないという妥協点や、ルールを作って、今の生活に繋がっています。それと同じ事を、自分と反対の立場にいる人にできるようにならなければ・・・。動物好きの人(一種類限定でも)と動物嫌いの人(一種類限定でも)との距離は縮まらないし、第二、第三のこげんたちゃんが増えていってしまうと考えています。自分と逆の意見や主張のある人とぶつかって、相互理解を深める事・・・。偉そうに書いていますが、私・・・ちゃんとできていません。近所の動物(特に犬)嫌いのおやぢとの理解は深まっているようには到底思えません。ただ、どうして嫌いなのかを知りましたので、どうすればこのおやぢと衝突することを最小限に抑えて暮らせるかはわかってきました。相手を理解する事・・・とても、とても難しいです・・・。でも、こういったことを実行しようという人が増えれば、こげんたちゃんの問題以外にもいろんな事が変わっていくと思います。まだまだ・・・。こげんたちゃんのことをきっかけにたくさんの事考えています。