テーマ:暮らしを楽しむ(383663)
カテゴリ:世界文化遺産
熊野古道-小辺路・那智・伊勢路 回想録(その14)_story(3545)2014.9.1
世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」体験記。 果無山脈中腹にある「観音堂避難小屋」から果無峠を越えて、熊野本宮大社まではおよそ11.1km。 当初予定した小雲取越えは13km(標高500mの峠を越える)。 その替わり湯の峰温泉宿泊を決めたのにも拘わらず、テント場を探しながら放浪した距離はなんと13.7km(湯の峰温泉 標高125m)。たいして距離は変わっていない。後者はかなり平坦であるものの、舗装道路ばかりを歩くというおまけがつく。 翌日のこと(当初予定は標高800mの大雲取越えに対して、バス移動)を考えればそのつらさは帳消しになろうが。 「屋根つきのテン場」というかなり悲しい制約があるためかなり長く彷徨うこととなってしまった。そもそも世界遺産熊野本宮館で教えてもらったテント場とは、オートキャンプ場のことでありバックパッカー用のテン場ではない。なかなかマイナーな”部類”に入るらしく通じていないのである。 日本には山以外ではテントを張る場所が無いのではなかろうか。オートキャンプ場はどうか? うるさ過ぎるので嫌なのである。車族ときたらやたらと荷物を持ち込み一族郎党をあげてわいわい騒ぎ、BBQをするのが常。こちとらは一人静かに寝たいだけなのである。こういう場所が無い。やはり行きつくところは小学校の庭で、体育館などへつづく廊下というのがベストである。静かなことは請け合い。 本宮郵便局で受け取ったのは、山行をかねての「α米x5+パンの缶詰x2+行動食(カロリーメイトなど)x3 スープx7 、ズボン(長+ショート)+熊野花火観戦用衣類(半ズボン+Tシャツ)+帰宅用(半ズボン、Tシャツ)、トレッキングシューズ」であったが、山はパスしたので幾分減らして送り返す。これらの手続きをすませ郵便局を出たのは2時。レストランで久々の昼食。カロリーの多そうなカツカレー注文。出してくれた水を何杯お代わりしたか分からないくらい。おそらく60兆もの細胞すべてが水を欲していたのではないかろうか。身体中に浸みわたっていく感じで蘇生していく。 生き返ったturbo717はそのまま国道168を南下。田辺・白浜行きの道は国道361号で、分岐して大日山トンネルをくぐる。四村川沿いに行くと渡瀬温泉が見えてくる。蛇行する川につり橋をかけて客を呼び込んでいるようである。すぐ脇に川湯温泉へいく「温泉隊道」というトンネルがあるが、そこはパス。 吊り橋に魅力を感じ、国道に付けられた階段を下って行く。吊り橋を渡った先にあったのがゴージャスな「渡瀬(わたらせ)温泉 ホテルひめゆり」である。川で遊んでいる人はすべてこの温泉の宿泊客とみた。ここにオートキャンプ場「熊野瀬温泉キャンプ場」が併設されている。皆大きなテントを車の脇に張り、屋根つきの炊事場などで調理をしているようである。ここはお呼びではない。トボトボとまた361号線にもどり「下の湯温泉」方向へと歩いていく。 白浜へは、渡瀬隊道というトンネルで西のほうに分岐するが、こちらはそのまま下湯川方向に向かい坂道を下りていく。ここに郵便局がある。局名は「湯峰局」。道路を挟んだ真向いに小学校がある。 しかし、校門を入って行こうとすると何やら人の目を感じる。車も沢山止まっている。すこし川べりの土手で様子を見ることにした。次第に分かってきたことは、お盆の風習であろうか、河原で故人を偲んで供養をしているのである。竹などを2本立てかけ紐を渡して祭場とし、いろんなお供えをして拝んでいるのである。河原のあちこちにそのようなものが置かれている。あるものは石を何段も組み立て、お墓のようにしている。家族親戚全員が集まり長い時間をかけてお祈りをしているのである。 止まっていた車はそういう人達が村落からやってきたものであろうか。 しかしそういう人が居なくなったあとでもなりやら人の気配。なんと老人福祉施設がありそこを出入りしている人たちで絶えず人通りがあるということ。学校はどこへ行った? 門構えや体育館、運動場、校舎が残っているものの廃校となり、敷地の半分が施設の用地となっていたのである。 まぁ、これも時代の流れか。子供がいなくなってしまったので合併をして廃校になったのである。体育館の玄関に格好のスペースを見つけた。コンクリートながら雨は防げる。かなりのスペース。 しかし、運動場の端にコンクリートの道があり、一軒屋に続いている。そこに燈火が。だれか住んでいるのである。玄関に近い運動場の向こうに老人センターの明かりが煌々と。テント場にしては気になる明かりが2方から迫る。まぁ、ここは一軒家からは死角になっているためそっとしておれば見つかることはない。真っ暗な夜であるし。 テントを張ってから2km先の「湯の峰温泉」へタオル一つぶら下げて行ったものである。テントを張る前にもすでに訪れている。事前にチェックしておいたのだ。公衆浴場が250円で利用できることを。 安いのには理由があった。石鹸やシャンプーが置いてないのである。なるほど。甘かった! 湯船につかったり頭をお湯で洗ったり手持無沙汰。冷たいドリンクで身体を冷やしつつ帰宅。2kmの山道を。 この公衆浴場なかなかの商売熱心。一般(250円)、薬湯(390円)、壺湯(770円 30分入れ替え制)、家族風呂(510円 30分間で入れ替え制)、12枚券(2,570円)、温泉汲み取り券(10L 100円)、休憩室(2時間 510)などと種類が多く自販機が大型で目がくらみそうであろう。しかしものすごい人気でどこにも待ち行列。 帰宅して気付いた。小銭入れが無くなっていることを。そこで3度目の2km登攀に及んだ。お風呂受付に黒い財布が置いてあった。半ズボンからこぼれ落ちたようである。距離が13.7kmと多目なのは、湯の峰温泉往復1.5kmが3回分入っているからである。ドジもいいところである。温泉の効能か足が疲れないのである。 老人ホームからの遠火をもらって比較的明るいテント生活となった。 湯の峰温泉 あぁ、この温泉に入るため3往復しているとは。 中央の橋を渡った右手奥にあるのが公衆浴場。 賑わっていた。 熊野本宮大社からは「大日山越え」という古道が残っており近道。 参詣道を歩いた旅人が峠越えをして温泉に浸かったのである。 この近くには、川湯、下湯の峰、渡瀬温泉と温泉が多く、 沢山の修験者や参詣者で賑わったことであろう。 熊野川の濁流 8月9-10日の台風11号の影響の大雨でで、どこも水が濁っていた。 昨年は、水量がすくなく、熊野川を渡渉できたというのに。 これでは無理である。 水深は1mから17mと水量とダム放水に寄り激変する 徒然の記1 実際の日程太字が本blogの記述部分。過去の行程は昨日以前のblog参照。 →・・徒歩 -km- 区間距離表示 8月15日(金)5日目 観音堂前の避難小屋-1.1km-果無峠(1050m)→八木尾(83m)→九鬼→三軒茶屋跡(210m)→熊野本宮大社(90m)→本宮郵便局(荷物の送受)→渡瀬温泉→下湯の峰→湯の峰温泉(公衆浴場)→廃校(旧四村川小学校)でキャンプ(24.8km) 徒然の記2 東海代表・中京(岐阜)が全国高校軟式野球大会を制する 延長50回に及んだ準決勝で東海代表・中京(岐阜)が西中国代表・崇徳(広島)に3-0で勝利。そのままの勢いで決勝初出場の南関東代表・三浦学苑を2-0で破り優勝した。 さて、中京地区には「中京」と名のつく学校が多い。 岐阜の中京は、「岐阜・中京」と呼ばれ、愛知県にある中京は、「中京大附属中京」などと呼ばれる。 「岐阜・中京」は正確には「学校法人安達学園 中京高校」で、小生が奉職した中京学院大学もこの系列である。大学としても今回の快挙は喜ばしい限りであろう。 一方中京大附属中京や三重中京はそれぞれ「学校法人梅村学園 中京高校」、「学校法人梅村学園 三重高校」が正確な学校名である。 この梅村姓と安達姓とはもともとは兄弟関係にあるため学校名も似たようなものになったのであろうか。 かっては”中京商業”の名前が両高校ともあった。常に何らかの付属文字が付いて区別されてきた。 岐阜の中京も、愛知の中京も、共に駅伝や野球が強く、マスコミに頻繁に登場する。 Picture1(sketch-direction 315° pm3:31 Sketch point:Watarase-spring,Homgu-town,Tanabae City,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.889789,135.751753(°)(33°49'0.25" N,135°46'2.33" E)標高101m Picture2(sketch-direction 4°pm5:31 Sketch point:Kumanohongu-taisya,Hongu-cho,Tanabe-City,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.827897,135.7572(°)(33°49'40.43" N,135°45'25.92" E)標高126m お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 1, 2014 11:31:59 PM
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