映画「オッペンハイマー」【感想】
1945年に広島と長崎に投下された原子爆弾を開発した、理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの物語。ユダヤ人への虐殺を続けるナチス・ドイツを倒すために原爆の開発を急いだオッペンハイマー。だけど、実用化に向けた最終段階で、ドイツは降伏。日の目を見ることはなくなった、と思われた原爆はアメリカの政権によって目標が変えられ、未だ敗北を受け入れずに抵抗を続けていた日本の地方都市に落とされた。原爆の投下は、広島と長崎に暮らすたくさんの市民に、余りにも悲惨な事態をもたらした。原爆が完成した時には、仲間と共に喜びに浸っていたオッペンハイマーの心は、原爆が実際に大量殺戮兵器として使われて以降、勝利に酔いしれるアメリカの民衆から離れ、孤立を深め、病んでいった…。…という映画を観ながら、「国家が敗北を認めるきっかけ」について考えていた。この映画を観ても、日本がドイツより早く降伏していれば広島と長崎に原爆が落ちることはなかったのに、と残念に思わずにはいられなかった。自分の知識が正しければ、ドイツが降伏するよりずっと前から日本の敗北は決定的だったのだからなおさら…。だけど、当時の日本は、今のロシアがおそらくそうであるように、「国民は国のためにある」と政権中枢が考えている国家だったから、国民が何万人、何十万人、何百万人殺されようと、戦争の首謀者たちが降伏を考えるきっかけにはならなかったのだろうと思う。もしも「国民のために国がある」と考える人たちだったなら、戦争を辞める理由はいくらでも見つかったに違いないけれど、当時の日本には、一億総玉砕をスローガンに掲げるような軍事政権が居座っていた。アメリカの人たちはおそらく今でも、原爆の投下が戦争の終結を早めた、と思っていて、それは当時の日本を覆っていた狂気に鑑みると、間違いとは言えないと思う。ただそれは、どうしても原爆でなければならなかったのか。たまたまそこにあった原爆を使っただけなのか…。繰り返しになるが、戦争を終わらせる方法は本当に原爆しかなかったのか。このことについては、やはり今の世界の状況も見ながらしっかりと考えなければいけない。今、ストーカーのようにウクライナに復縁を迫るロシアの大統領に、何をどうすれば行動を改めさせることができるのか。攻撃の手を休めると国が消滅すると、強迫観念に支配されているイスラエルの政権に、何をどうすればガザでの争いを終わらせることができるのか。それがわからないからみんな苦しんでいるんだよ、ということなのだけど、やっぱりちゃんと考えなければいけない、とこの映画を観て強く思った。