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カテゴリ:独断と偏見に満ちたアナリスト
いつも無駄に長いタイトルでゴメンナサイ。エヘヘ。
前回の【ひとりで勝手に一周年記念集・6】で、ネットとブログがなくなったら、私・わかばやしく自身がメッチャ困ると書いた。それは事実だとして、次は下記のような疑念が沸いてきた。 「もしも、わかばやしくブログがなくなったら・・・。」 誰が困って誰が困らないのだろうか・・・。 私の独断と勝手な結論はこうだ。 「誰もがみんな困らなくなる」。 寂しいかなそう思う。「最終的には誰もがみんな困らなくなる」。 ★映画とかラジオやテレビの最終回でもそうだ。「お願い終わらないで・・・」。誰もがみーんなそう思うことだろう。その時限りは・・・。でもその場の感傷は必ず忘れてしまう。たとえ鮮烈にその時のマインドを覚えてはいても、ヒトの記憶は時とともに薄れていくものだ。 オオゲサにいえば、ヒトとの別れやヒトとの死別もそういったものに近いと思う。「悲しみは雪のように消えていくもの」。特に困るか困らないかといえば、はじめは確かに困るだろう。しかし、ゆくゆくは誰もがみんな必ず困らないものになるであろう。とても悲しいけど現実だ。 となると、私・わかばやしくブログがなくなっても「誰もがみんな困らなくなる」、と感じる。 だからといって、私のこのブログが意味をなさないとは全く感じない。自分自身にとっても何かの「気づき」が生まれ、誰かにとっても「気づき」にいつの日かつながっていてくれると信じるからだ。 私・わかばやしくが微弱な電波を勝手に無駄に怪しげに毎日発信している意味はそういった理由だからなのかもしれない。 ヒトは忘れるために生きているから、何かを残すことに一所懸命でいたい。いつか誰かに気づいてもらえるために・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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