|
カテゴリ:独断と偏見に満ちたアナリスト
これまでも無駄に勝手に怪しげにブログのことをしゃべってまいりましたが、あらためて思うことなどを少々。
昨日夜のテレ朝・情報ステーションで韓国のIT犯罪について取り上げていました。急速に伸びたネット社会、それは日本の比ではありません。インターネットカフェなどにてネットを悪用した恐喝が横行しているとのことです。ネチケットやネットリテラシーが確立されていない中で、騙す方も騙される方も歪んだ世界が身近なこととして浮き彫りになってきています。 WEB2.0と叫ばれているように、さらに誰もがカンタンに発信できるようになってくるとさらなるリスクも当然生まれてきます。リスクを回避するためには一切発信しない方が「下流社会」(自分らしく生きる人たち)にとっては安心安全なのでしょう。しかし、それではどうやら地球が沈没してしまうようです。 自らが発信し自己責任を追いながら社会的責任をそこに見出すコミュニティー。そのような空間を数多く作り出すことが我々の次世代へ向けた責務なのかもしれません。ひとりひとりが強く生きないと大きなパワーを生み出す社会にならないのだと思います。 ただその中で、ネットやブログなどのツールを活用していて思うことは、このツールの役割には限界があることを強く感じます。距離的、物理的、精神的にも離れている人とゆったりとつながりリアルタイムに近いかたちで会話ができ、データとしてその存在を残せ多くの人と共有できるという点でとてもすごいツールです。反面、やはり対面した時と比較すると多くのコミュニケーションギャップと感情のずれが生じます。 そのように思うとネットやブログ上を活用するときのプライオリティーの問題なのですが、意見や思想の違う者同士の議論は双方相当なリテラシー力がないと幸せな結果は生み出しにくいのではないかと思います。全く無駄とは言いませんが、そういった議論よりも優先されるメディア作りに今は勢力を注ぎたいのです。 それは、ネットは人と人をつなぐツールだという確固たる位置づけで、感動を共有できる人たちがまとまり、インフルエンサーとして数多くのムーブメントを巻き起こし、その活動の存在価値を見出していけること。誰もがひとりひとりがハッピーになるための会話をつなげていくこと。みんなで共振できるメディアになっていければ・・・。この間、ある人は「放電コミュニケーション」と語っていました。私はその放電の前に「幸せな」をつけたいなと思っています。 オフラインでの対話で膝を付きあわせ、深い議論をすればいいだけの話です。ネット上では人をいさめるよりも人を愛することの方に主力を注ぎ優先していきたいのです。その方が多くの人がハッピーになる確率が高いような気がしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年03月17日 13時55分04秒
コメント(0) | コメントを書く
[独断と偏見に満ちたアナリスト] カテゴリの最新記事
|