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カテゴリ:たまにゃー、大まじめなお話でも
今朝の朝刊の「ひつぎのぞき、笑う」の見出しを見て、私の脳ミソを疑った。
「ありえない」と・・・。 そして本文の「複数の関係者の証言でわかった。・・・。・・・通夜の席では笑いながらひつぎの中を何度ものぞき込む姿も目撃されている」とある。私は何度も読み返し愕然とした。 福岡の中2いじめ自殺の問題。これは今までのいじめ自殺問題以上のものがありそうだ。「ひつぎを何度ものぞいて笑う精神」、どんなものだというのだ。このことは思わず書かざるを得ない。 それが事実だとして、報道になっている。その本人はどのように更正していくのだろう、していけるのだろうか? 時が過ぎ若気の至りなんていうものではない。現場を認識していないのでなんとも言えぬが、その後の進展でいい方向に向かうことを期待する。しかし、報道されてしまった事実の衝撃は私の中ではあまりに大きい。 私の中で、何か救いが欲しいと思っていたところ、大尊敬する「ITベンチャー女性経営者のひとり言」のサソウさんが私の先日のエントリー「胸を張って「まちがえよう」ぜぃっ☆ 」にありがたくも反応していただきました。その中の「まきたしんじさんの 教室はまちがうところだ」をモチーフに今回のいじめから新たな詩として書かれていらっしゃいましたので、ぜひ紹介させて下さいませ。 ********************************************************************** 「人というもの」 さそうみちよ 人はみな違う。 顔も、体も、考えも違う。 皆が同じ顔をしていたら気持ちわるい。 区別がつかない。 皆が同じ考えを持っていたら、恐ろしい。 いろいろな考えがあるから話し合って、よりよい社会ができる。 自分と違う人がいることを認めないといけない。 自分と違う、その人も、人であることを認めないといけない。 自分と違う、その人も、自分と同じように、心があって、家族がいて、未来があることを考えないといけない。 人は誰かを好きになり、誰かをきらいにもなる。 今日好きでも、明日は嫌いかもしれない。 今日嫌いでも、明日は好きになるかもしれない。 全ての人が好きな誰かはいない。 全ての人が嫌いな誰かもいない。 もし、全ての人が自分のことを嫌いだと思っているとしたら、自分のことを好きな人がいることを忘れている。 ★まねした元の詩は、教室で勇気をもって手をあげよう!という詩です。この詩の中でも、他人の間違いを笑ってはいけないと言っていますが、もっと、踏み込んで、発言の違いだけでなく、人間の違いも笑ってはいけない、と思うわけです。 ********************************************************************** サソウさんの詩でヒカリを見せていただきました。 みんな何かを感じ、考え、どんなカタチでもいいから外に発信しないと「何も変わらない」。 そんな風に感じるのです。 さて、みなさん、どうでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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