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年末年始、息子と遊んでいると息子はどのように生きる意味を感じていくのかが気になってしまいます。 その意味をなんとか知りたいなーと夜な夜な読んでいる本が岩波新書の「いま哲学とはなにか」。著者の岩田靖夫さんは東北大学の名誉教授で宮城に住んでいる人と知って親近感が増しました。 哲学っていうだけで毛嫌いしてましたが、これが私が前から感じていたことにかなり近くて実に面白いんです。 「人はいかに生きるべきかの問い、すなわち、全の探究をソクラテスはどのようにして行ったか。それは、ロゴス(言論)による根拠づけによって、である。この場合、ロゴスとは、書斎に篭って一人思索に耽ることではなく、街頭出て自分と異なる意見を持つ他者と対話することである。なぜなら、人はそれぞれ自分自身の思い(ドクサ、ピスティス、信念、思想、信仰)」によって生きているが、その思いが正しいかどうかは、他者思いと対決し、切磋琢磨し、より普遍性の高い思いと近づく以外に確かめる方法がないからである」 「人はいかに生きるべきかという問題は、他者といかに関わるべきか、という問題へ発展していく。人が生きるのは、他者と出会い、他者と交わるためである。他者を愛し、他者に愛されるためである。そのとき、人は生きている意味を感得し、生きている喜びを本当に体験する」 「人間は共同体的動物である、というアリストテレスの定義が示すように、人は本質的に共同体の中で生きる存在者である。したがって、人はいかに生きるべきかという問題は、人はいかなる共同体をつくるべきかという問題を解決しなければ、従前な答えに到達しない。」 と、まだここまでの部分ですが、これからデモクラシー成立の基礎、市民の概念、理想国家の基礎、教育による理性化の浸透といったことで、人はいかなる共同体をつくるべきかといった話に進行していきます。 さらに、究極根拠への問い、存在への問い、万物の存在根拠、他者という謎、他者とともにあるという根源的状況、苦しみの有意味化、なんのためでもない同盟、自由の原理、人生の意味、人はなぜ戦争をするのか、正義の問題、ソクラテスの信条-復讐の放棄へとつながっていく。 紅白の森山直太朗の「生きていくことが辛いなら」の歌詞に含まれた背景もかなりオーバーラップする部分があるかもね。 とまぁ、元旦のブログがかなりおかたくはなりましたが、今年はかなり意識して「生きる意味」を感じ、行動を共にしてもらえる仲間を大事にして生活していきたいなと感じたお正月なのでした。 まあ、飲んで騒ぎながら「そもそも共同体とは」といったことをまじめに楽しく話し明かしていきたいと思っていますので、今年もご厄介かけますがみなさんよろしくネ。 ※画像は、岩手・田野畑村から届いた鮭です。鮭もいかにして生きて、私のところに届いたのか、なんて考える正月はなかなか意義深いものです!? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年01月02日 00時42分54秒
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