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銀座から延びてきた中央通りは、今の新橋駅の東側で第一京浜国道に繋がります。丁度その場所で溜池、虎ノ門方面から延びてくる外濠通りが合流します。その交差点に旧汐留駅はありました。従って、旧汐留駅の跡地は、日本橋、銀座、品川、浜松町の旧東海道の路線上にあり、かつ、霞ヶ関の官庁街にも繋がる、立地的に見て都心の一等地でした。
このような優良地が何故遅くまで開発されずに残されていたかと言うと、次のような事情によるものでした。 国鉄を分割民営化する際に、民営化する JR 各社の経営を安定化するため、旧国鉄の膨大な債務を肩代わりする国鉄清算事業団を作りました。この事業団は国鉄の旧債務を負うと同時に不要な旧国鉄用地を所有しました。国鉄清算事業団は、膨大な債務を減らすために、貨物輸送の必要性が無くなった旧汐留駅の跡地を一刻も早く売却するつもりでしたが、時あたかも土地バブルの盛りであったので、国鉄清算事業団の土地売却がバブルを煽ることになるとして延期させられたのです。 ようやく平成4年末頃までには土地バブルも収まり、平成7年(1995)に旧汐留駅の跡地について土地区画整理事業の全体像が決まりました。その構想に従い開発街区ごとに開発業者に土地が売却され、その区域単位でビルの建設を進めました。その結果、10数年の年月を掛けて所謂シオサイトが完成したのです。 開発の全体計画では、一応、街区毎に商業施設などの業務商業系複合ゾーン(A~C街区)と、文化・交流系複合ゾーン(D、E街区)と、その他のゾーン(住宅、公園)に性格付けがなされていますが、出来上がったシオサイトは、そのような機能整備が十分でなく、外観も雑然として統一性に欠けるものになりました。(写真1、2、3、4)
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Last updated
2017.03.03 20:30:19
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