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都内で最初に誕生した環状道路は明治通り(環状5号線)です。最初に開通した部分は渋谷から神宮前交差点迄ですが、この部分は、昭和3年(1928)に渋谷川沿いの道路を拡幅整備したものです。その後、明治通りは渋谷区、新宿区、豊島区、北区、荒川区、台東区、墨田区へと延びて江東区の夢の島に達し、都内を一周する33kmの長大な道路になりました。
環状道路は、元々放射線道路の迂回路の役目を果たすものでしたので、開通後暫くは街並みは閑散としたましたが、一番早く開通した渋谷から神宮前までの明治通りは、原宿近くの表参道交差点付近を中心として、渋谷方向と新宿方向の左右に向けて、賑わいのある立派な街路に成長しました。 戦前は、表参道交差点も明治神宮参拝の人々が訪れる静かなところでしたが、戦後に明治神宮の南にワシントンハイツと言う米国空軍の兵舎と家族用宿舎が建設されて、原宿周辺にも米軍関係者が訪れるようになり、アメリカ文化の香りが漂う地域に変化します。 戦後間もない日本人にとって、アメリカ人の生活スタイルやファッションは時代の先端を行く憧れの的でしたから、多くのファッション・デザイナーや文化的職業人が原宿周辺に集まりました。現在の表参道のファッションストリートが、銀座、新宿、六本木などの街並みとは一味違った西欧的雰囲気が強いのは、このような街の発展のスタートに原因があるのです。 いま神宮前交差点の四つ角に東急プラザ表参道原宿(平成24年竣工)がありますが、嘗てここには中層階のセントラルアパート(昭和33年~平成10年)が建っていて、その名の通り、米軍関係者のアパートだったのです。しかし、米軍関係者が去ると間もなく、下層階に商業施設が入り、上層階はオフィスとなり、雑誌、出版に関係する文化人たちの仕事場になりました。 平成時代に入るとセントラルアパートはティーズ原宿(平成11年~22年)という総合商業ビルとなり、GAPの旗艦店が入居してファッション・ビルに様変わりします。表参道のファッションストリートの発展は、このティーズ原宿が出発点でしたが、その向かい側にラフォーレ原宿が出店して夏のグランバザールを開催して大熱狂を呼び起こし、それで明治通りがアパレルの街として全国的に有名になる切っ掛けでした。 現在はティーズ原宿は東急プラザ・ビルとなり、明治通りを挟んでラフォーレ原宿と対峙しています。 (写真1、2) 神宮前交差点に地下鉄千代田線の原宿駅が誕生すると、JR原宿駅を乗り降りする人々と合わさって、神宮前交差点の人通りの多さでは、渋谷のスクランブル交差点を思わせる程の賑わいです。この交差点を渡る人々は、表参道のファッションストリートへ行く人、明治通りをショッピングする人、そして竹下通りに集まる若者達、更には裏原宿という裏道を探索する人の群れです。 (写真3、4) (以上) 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ 写真1 神宮前交差点角に建つ東急プラザ表参道原宿 写真2 神宮前交差点角に建つラフォーレ原宿 写真3 神宮前交差点を渡る人の波 写真4 神宮前交差点を渡る人の波 写真5 神宮前交差点を360度写す万華鏡 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.06.26 20:55:05
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