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神田祭りは神田明神の例大祭のことで、江戸の天下祭りと言われました。神田明神は江戸城の下町全域に氏子を持つ総鎮守でしたから、江戸時代には江戸町民の最大のイヴェントでした。そして時代が東京に変わっても、東京の商工業とオフィスの中心地、神田、日本橋、大手町、丸の内をカバーする地域の氏子が参加する東京最大の祭りです。
神田祭の行事は二つに分かれます。一つは神幸祭(しんこうさい)と言い、神社本社から三柱の祭神が三基の鳳輦・神輿に乗り氏子の居る町々に巡行し、神々の力によって各町会を祓い清める祭事です。鳳輦・神輿とは屋根に鳳凰の飾りのある豪華なもので、神が乗る山車のことです。 (写真1、2) 江戸時代の狂歌に「神輿深川、山車神田、だだっぴろいは山王様」と言うのがありましたが、神田の山車は特に有名でして、鳳輦・神輿の装飾は豪華で風格がありました。祭りの日には当時の装束を纏った人々が山車を曳き、氏子のいる町中を巡回しました。 (写真3) もう一つの行事は御輿宮入でして神幸祭の翌日に行われます。各町会は各町神輿で御輿連合を設立し各地区を巡行すると同時に、代表の神輿が神田明神の境内に繰り込むり込むのです。狭い神田明神の境内には多くの神輿が入れ替わり立ち替わり乗り入れてくるので、夕方遅くまで賑わいは続きます。 (写真4、5) 隔年5月に開催される神田例大祭は、守護神による地域の祓い清めと、地域の氏子達の守護神への感謝を交わす行事です。その時には下町全体は大いに盛り上がります。町の中には江戸時代からの堀割りが未だ流れてもいますし、近代的な高架鉄道が走り鉄橋が架かっています。氏子の住む町並みには、近代的な高層ビルが立ち並ぶ新しいオフィス街があれば、昔からある伝統的な商店街もあります。また戦後誕生した専門店街の秋葉原電気街もあります。その中を古式豊かな山車と神輿が練り歩く光景は、街の歴史の変化の深さを感じさせるひとときです。 (写真6、7) 江戸の天下祭りと称するものには、神田祭りの他に山王祭があります。山王祭は江戸山王権現の日枝神社の祭りで、日枝神社は家康が入府したとき城内に鎮座していたのですが、後に江戸城改築のとき城外に移転し、現在は赤坂山王にあります。山王祭りも神田祭りと同様、将軍の上覧と江戸城内への祭礼行列の練り込みが認められている特別の祭りです。文化文政の頃には江戸城内での山車・神輿の観覧が盛大に行われていたと言いますが、山王祭は山の手気分、神田祭は下町気分と言われていました。 (以上) 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ 写真1 御神輿担ぐ人は正装して 写真2 ユーモラスな山車も参加 写真3 古風な装束で歩く山車の行列 写真4 青銅張りの鳥居を入る御神輿 写真5 正門の随神門をくぐる御神輿 写真6 高架鉄道の下をゆく御神輿 写真7 秋葉原電気街へ繰り出す御神輿 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.01.26 19:48:25
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