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湯島天満宮の前身、湯島神社の誕生は5世紀中頃と古く、雄略天皇の勅命(雄略天皇2年458年)により天之手力雄命を祀る神社として創建されました。後に南北朝時代の正平10年(1355年)に住民の請願によって北野天満宮から菅原道真公を勧請して合祀したという少し変わった神社で、今では天神と敬われた菅原道真にあやかって湯島天満宮という名前で有名です。
菅原道真は平安時代の政治家で、若いときから学問に優れ、政治家として手腕を発揮していたのですが、宇多上皇と醍醐天皇との後継者争いで始まった昌泰の変に巻き込まれて、藤原時平との政争に敗れて九州の太宰府に左遷され、その地で亡くなりました。 道真の死後、都の各地で疫病、日照り、落雷など不吉な現象が数々起こり、人々は無念の内に太宰府で病死した道真の祟りだとして恐れ、道真の怨霊を鎮めるため、京都に北野天満宮を、九州に太宰府天満宮を創建しました。 その後の江戸時代になると、天満宮は怒りを鎮める畏敬の神ではなく、学問を崇める神として尊崇されて、今では全国各地に勧請されて神社が建ち、その数数千とも言われています。東京では湯島天満宮、亀戸天神、谷保天満宮が江戸三大天神として有名でした。 例年2月は中学と高校の入学試験のシーズンです。この時期になると天神様は沢山の受験生から合格するよう頼まれるのでしょう。神社の境内のあちこちに合格祈願の絵馬が沢山掛けられているのを見かけます。うずたかく積まれた絵馬の小山で湯島の梅の花も隠されてしまいます。 (写真1、2) 大宰府へ左遷される時に菅原道真が梅の木に向かって詠んだと言う歌 「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」 は有名で、湯島天満宮の境内にも加賀梅(白梅)を中心に紅白の梅の木が植えられていて、学生達の合格祈願の頃、梅の花が咲き始めますので、境内は花見客でも賑わいます。 (写真3、4、5、6) (以上) 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ 写真1 写真2 写真3 写真4 写真5 写真6 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.02.16 23:07:49
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