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東京の新宿区に百人町という町があります。その名の由来は江戸時代に鉄砲組百人隊が住んでいたことによります。百人町は、山手線の新大久保駅からほど近くにあり、山手線と中央線に囲まれた地域です。
鉄砲組百人隊は江戸城大手三の門前の守備隊でした。大手三の門は大手門から入城した大名などが籠から下ろされ、従者などが待たされる第二関門でして、大手三ノ門の警備は鉄砲百人組の与力・同心(甲賀組・根来組・伊賀組)が受け持ったと言われます。 百人町では、その鉄砲組百人隊が武士姿で行進する行事が戦後も復活しており、皆中稲荷神社例大祭には「江戸幕府 鉄炮組百人隊出陣の儀」として鉄砲組の出陣式が神社に奉納されます。神社の名前の「皆中」は、鉄砲組の鉄砲は「皆当たる」との縁起をかついだのでしょう。 (写真1) 東京の郊外だった百人町界隈は、大正時代に山手線が開通すると山の手の住宅地となり、地の利がよいため作家、詩人、画家、学者など多数住み着いて、文化的土地柄になりました。しかし百人町は新宿歓楽街にも近かったので、戦後のある時期から町のメインストリートと言うべき大久保通りは、新宿から溢れ出る賑わいが流れ込んで大いに賑わいました。 (写真2) しかし、近年は大久保通り周辺には途上国からの居住者、来訪者が増えて、多国籍の食堂、食料品店も多くなり、都内でも独特の町並みとなりました。特に山手線内側の大久保通り(職安通り)は韓国系の店舗が多く、山の手のコリアタウンとして韓流ブーム盛んな頃は大いに賑わいましたが、韓国の反日運動の所為で今は沈静化しています。 (写真3、4、5) 百人町が江戸の軍隊の町からの戦後の住宅地、商業地、外国人の町へと変遷したのは時代の変化を受けたためですが、同じ事は東京の中心街でも、大規模に起きていることで、例えば六本木は戦前は軍隊の町であり、戦後は高級歓楽街となり、その後は一部はオフィス街に変身しています。町は時代と共に変容する生き物なのです。 (以上) 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ 写真1 写真2 写真3 写真4 写真5 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.10.16 14:20:38
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