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小泉八雲は明治時代に来日し、東大で英文学を教えたり、また松江・熊本・神戸など日本の各地で日本人の初期英語教育に尽力し、その間、日本文化に関する著書を数多く書き、欧米に日本文化を紹介したアイルランド人です。その英語名はラフカデオ・ハーンと言います。
小泉八雲は、イギリス陸軍の軍医だった父がギリシャ勤務中に産まれ、帰国後、両親が離婚したので厳格なカトリック教徒だった大叔母に育てられました。その大叔母に妖精を見た経験を語ったところ、そんなものは存在しないと厳しく叱責されてから、キリスト教嫌いになったと言われます。 長じて世界各地を放浪して来日して、日本では幼い頃の体験談が普通に語られているのに心の安らぎを得たと語っています。日本各地に伝わる伝説などを元にした民話を題材にした有名な「怪談」は、その成果の一つなのです。 小泉八雲は、松江に滞在していたとき、その土地の日本人女性と結婚して、後に日本に帰化しました。明治37年(1904)に狭心症で東京新宿の大久保で亡くなり、お墓は東京雑司ヶ谷霊園にあります。 小泉八雲終焉の地の路地に彼の碑が建っていますが、その碑の近くに「小泉八雲記念公園」があります。小さな公園ですけれど花壇を中心にした垢抜けした公園で、公衆便所の建屋まで瀟洒た造りです。 公園内には小泉八雲の胸像があり、その前の花壇の後ろに並べて建てられた白い石柱の構造物は、小泉八雲の生誕地、ギリシャをイメージしたものだそうです。 (写真1、2、3、4、5) (以上) 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ 写真1 小泉八雲旧居跡の碑 写真2 小泉八雲の胸像 写真3 胸像の前の花壇 写真4 花壇の端にある瀟洒な公衆便所 写真5 花壇の後ろにある石柱 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.01.19 13:40:46
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