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幕末_WITH_LOVE玄関<中島三郎助と蝦夷桜(現在の頁) |
中島三郎助と蝦夷桜
No.1 <No.2<No.3<No.4 (現在の頁)<No.5 <No.6<・・・No.12(完) |
中島三郎助(諱:永胤)文政4(1821) - 明治2/5/16(1869/6/25),幕臣,蝦夷では「箱館奉行並」,享年49 |
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中島三郎助と蝦夷桜_No.4
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中島三郎助(諱:永胤)文政4(1821) - 明治2/5/16(1869/6/25),幕臣,蝦夷では「箱館奉行並」,享年49 |
潮騒、父としての己
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父、中島三郎助_対_長男、中島恒太郎
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はるか向こう、沖の彼方迄、
群青の海が広がってゆく。
中島は、黙ってこの「潮騒の音」を聞いていた。
中島は、客観的に己を糺すなれば、我が子に対して、実は負い目があった。
人様に尽くしておきながら、そのわりには、我が子に対して、己は失格ではないか・・・。
ふと、そんな思いが体の中を過ぎってゆく。
中島が若かった頃、ついつい口煩く躾けた為に、長男も次男も年齢のわりには格式ばった子
になってしまった。可愛そうに伸び伸び自由奔放に育てられなかった親の責任だ。
そのかわり、己が年齢的に出遅れた「軍艦の世界」
・・・これだけはいち早く彼らに覚えさせてやろうと夢中になった。
にもかかわらず、時代が悪かった。
機械好きの中島にとっての「軍艦の世界」とは、襲い来る諸外国の脅威に対抗する為にとはいえ、
実は、やはり夢の要素が含まれていた。つまり夢中になれる世界だったのだ。
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対して、子供達の世代はちがう。
中島が幼い頃には、伸びやかな野山があった。よく駆け回って遊んだものだ。
山から見下ろす浦賀の海は青く澄みきって、悠々としていた。
対して、この子らは不憫でしかたない。
長男、恒太郎が生まれたのは、1848年。
この子は、五歳で黒船の恐怖を目の当たりにした。
物心ついた時、彼にとっての海は「責め来る敵の恐怖の扉」だった。
しかし、聡明な彼は、それに脅えることなく、小さな拳を固めて言った。
「父上!恒太郎は負けませぬ!絶対に!!」
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【中島三郎助えとせとら資料編】:No.1<No.2<No.3 |
そんな彼は、幼い折より、皆に「たのもしい、勇敢だ。」ともてはやされた。
その度に中島も、鼻高らかとまで言わないにせよ、やはり、親である以上、悪い気はしなかった。
当時の中島。仕事はできるが、父としては若く、まだ半人前だった。然るに、子に厳しすぎた。
幼児の頃から我武者羅に漢詩を教え込もうとした。覚えが悪いと言っては頻繁に叩いて躾した。
「中島家の後継者として恥ずことなきよう精進せよ」
・・・と暇さえあれば、おきまりの説教文句ばかりを言う・・・鬼親父だったのだ。
徳川報恩、主の為にあるべき家臣の姿とは・・耳にタコができるほど説き伏せた。
しかし、長男とは不思議な存在だ。
鬼の親父に反発を見せるどころか、そっくりそのまま、自然にそうなるものなのだ。
「闘う!守る!」ひたすら、それだけを思い育った彼の発想は、中島に強要されたからで
はないと本人は堂々、そう言う。 僅か五歳の衝撃は、彼の幼少体験を型造ってしまった。
精神構造を支配されてしまったのである。
その恒太郎は今、海に居る。松岡磐吉艦長の配下、蟠龍の乗組員だ。
韮山は、世直し代官_江川英龍が健在だった頃からの縁である。松岡昌(正)平の次男である
磐吉になら、万事任せられる。
恒太郎に対しての己は・・・どの程度の器だったろうか?
中島は、ひとたび目を閉じて、波音を聞いて思案した。
こうして過去を思い返してみても、厳しすぎた点を除けば、ほとんど負い目はない。
すっかり海焼けをして、精悍そうな顔になった恒太郎。
中島の子である以上痩身ではあるが、父と異なり、胸板は厚く、背筋を伸ばした姿は、実にたのもしい。
しかし・・・ふと、中島は一人で吹き出した。彼の顎の形を思い浮かべたのだった。
血縁とは天が為せる一種の悪戯じゃ!
全体的に細面の顔には不釣合いな程、顎だけが、しっかり太い。これは中島譲りである。
妙なところが遺伝するものだ。それは、けっして、えらが張ってるわけでなく、しゃくれ顎でもない。
しかし、それでいて、がっちりと太い顎は、そっくりそのまま『意思の強さ』を表すかのようだ。
恒太郎は、いつの間にやら筋肉のついた両の腕をぐいっと組み交わして思案する。
そして、決心したかのように、程よい間を置いてから、堂々と物を言う。
しかし、そうした場面において、ふと可笑しいくなるのは、いつも瞼だ。
いくら偉ぶってみたところで、どことなく幼さが感じられる彼の表情は、
全て、あの『一重瞼』が原因だった。浦賀に居る折には、よく妻がそう言っては笑っていたものだ。
長年体調を崩したままの中島、今や、その目は骸骨同然に深く落ち窪み、
二重なのか一重なのやら、おおよそ見当がつかない状態だ。
ところが、実のところ、彼こそ典型的な『一重瞼』であった。
余計なところばかり、よく似てくれるものだ・・・!
またしても、中島は一人、吹き出した。
しかし、目を閉じて、もう一度、己自身を辛く見つめ直してみた。
恒太郎に対して、親としての己は・・・どの程度だったろうか?
潮騒の音は即座に、答えを返してきた。
・・・
どうやら、恒太郎に対してだけならば、それは、ほぼ合格点だっただろう・・・。
しかし、中島は胸が痛い!!
次男の英次郎を思えば、胸がしめつけられそうだ。
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浦賀にペリーが訪れた1853年、英次郎はまだ3歳。父が真っ先にそれに対応した人物であるにも
かかわらず、よちよち歩きに等しい幼少の彼、当然、記憶はない。
また、翌年1854年、日米和親条約。引き続き、日本は蘭、露とも締結し、不平等な条約に屈した。
大量の金が海外に流出して物価が高騰した。治安が乱れ、幕府の屋台骨はぐらついた。
金と銀の交換率に関して、日本は無知だったのだ。
江川英龍の死:風邪気味で熱のある体に自ら鞭打ち視察出張後、
悪化倒れる。幕府側からも著名な医師を派遣するなどしたが死。
暗殺の確立はこれらの話から低いと考えるのが普通だが、この後
実は拝命の好機その直前でもある。
要人暗殺は日常茶飯事。同年、地元では、韮山の江川英龍が江戸藩邸で謎の死を遂げた。
砲術のこと、科学的発想サイクルといい、中島はなにかと、この英龍とは、波長が合致した。
それだけに、彼の死は衝撃的な影を落とした。
そして、悪夢のような安政の大地震が下田沖を襲った。死者7000人以上。
この頃、徳川の知恵畑、近代的装備を伴う最大の武力畑、その根底が江川にあることを
薩長が嗅ぎ付けていたのだった。
英龍が没した後、若い跡取、英敏が1855年、僅か16歳で家督を継いだ。
しかし聡明な彼は、父の意思を把握しており、薩長寄りの手代の意思に振り回されることなく、
必死で調整、世直し代官、英龍の子として、奔走し続けた。
若すぎたが故、暫しの間、薩長寄りの手代達の思惑に填まり、埋没しかけたかに見えた韮山だったが、
成人すると英敏はめきめきと頭角を発揮して、父、英龍が見抜き、筆頭手代に引き上げた松岡昌平
(蟠龍艦長_松岡磐吉の父)を頼りに、本格的な立て直しに踏み切った。
しかし、そこで事件が起きた。1862年、英敏が23歳の時だ。
或る日、彼は、この若さで、・・・・・なぜか!急死した!!
中島は寝る間も惜しんで、日夜、徳川のために命掛けで、奔走していた。
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1851年生まれの英次郎は、悲惨そのものだ。
子守唄のかわりにいつも耳には調練の音が響く。
彼がもの心ついた頃といえば、日本は既に開国。屈辱の条約提携下にあった。
1856年、8月には、アメリカ領事、ハリスは伊豆下田に根を下ろしていた。
英次郎が見たこの国とは、既に攘夷の嵐に吹き荒されて、京や江戸を始め、
全国で血腥い辻斬り、異人斬り、人殺しがいわば日常茶飯事のごとく横行していたのだった。
死と絶望は衝撃な事象としてではなく、日夜断続的に継続されていた。
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父としての悔恨
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次男_中島英次郎と、父としての己
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(中島の回想シーンが続く=昨年の暮)
■101発の祝砲&赤いブラスバンド_額兵隊パレード
昨年の暮れ(明治元年)蝦夷上陸後の中島親子は・・・
開陽は不慮の事故にて奇しくも喪失。そんなダメージはあったものの、明治元年12月15日(旧暦)
華々しい蝦夷新政権が誕生した。101発の祝砲が放たれて、榎本軍は民に餅を撒いた。
歓喜した人々がそれを我先にと拾いに走る。
星 恂太郎率いる額兵隊は、リバーシブルの制服を裏返して真っ赤な衣装に身を包み、
豪華なブラスバンドの演奏パレードを実施した。人々は生まれて初めて聞くこのメロディーに
驚き、かつ赤い洋兵隊のもの珍しさに感嘆の声を漏らした。
■洋士官_中島英次郎
中島は突如、次男の英次郎を呼ぶと、こう言った。
「英(ふさ)、そなた、髷を落として、洋士官になるがよいぞ。」
瞬時の難色を示したものの、この子はそもそも面と向かって逆らうことはない。
常に父に対してでさえ、何事も行儀良く振舞う。
「お父上の仰せなれば、英にも異存ござりませぬ。」
断髪を為して、金ボタンの士官服を着た英次郎の姿。
それは、実に輝いて見えた。もし迂闊にも、口に出せばたちまち、親馬鹿になるところだ。
しかし、内心、我が子ながら惚れ惚れする程、立派な士官姿だった。
現代的な顔形。古風な中島の作りとはだいぶちがう。二重瞼で大きくぱっちりとした目。
洋服姿がこれほど似合う男といえば、土方を除けば、まず、他にはいない。
なんだかんだと子に口煩い中島。それでいて、今だ、次男は可愛い。
親が子離れできない状態なのだ。
すっかり一人前の晴れ姿。中島が褒め言葉を探す間に
なんと、おかぶを長男の恒太郎に取られてしまった。
「英!見違えるぞ!精進して榎本殿をお助けするのじゃぞ。
お前は素質がある。より一層学んで、必ずしや、お役に立つのじゃ!」
ジュニアとは正にこのこと。中島の出る幕がない。言いたい事全て、恒太郎に言い尽くされてしまった。
■追憶_浦賀時代の少年、英次郎
英次郎の利発ぶりは浦賀に聞こえ渡った。
学に関して、その理解度は群を抜いていた。なんといっても、実に覚えが早いのだ。
この子は大量の洋書物を一気に飲み込んで、それでいて消化不良をおこさない。
さらさらと読みこなし、たちまち吸収してしまう。恒太郎にとっても、自慢の弟だ。
しかし、ふと思えば、中島は、恒太郎の時と異なって、この子を叩いた記憶がない。
普通、幼年の男児といえば、多かれ少なかれ、何れの家でも手を焼くものだ。
いわば怪獣なのだ。躾をしくじると、野獣に化ける。
中島は叩かなかった原因を考えてみた。
それは、単純に考えると、己自身、父としてのレベルが多少向上していたからと
思えてしまうが、実際はそうでなかった。
この子に対しては、本気で苛立った記憶もなければ、叩くどころか、
そもそもこの子は、叱らねばならぬ事件など、起こしたためしがなかった。
軽く諫める程度に叱った事とて、指折り数えて片手にも満たない。
英次郎が幼い頃、中島は、国防の為に病を押して日々奔走していた。
そんな中で、出かける際には、長男の恒太郎を呼びつけ、あれこれと口煩く伝え置きした。
「己は長男。己は男児。家を頼むぞ。女共を守るのじゃ。弟をしっかと育てるのじゃ。」
まだ前髪を垂らした幼い少年、恒太郎も父に負けてなかった。
「父上、心得ておりまする。英のことはご安心下さいませ。
徳川報恩の為、中島の家の名に恥じなきよう、よくよく言って聞かせます。
されば、お父上、道中、くれぐれも、お気をつけて・・・」
少年、恒太郎は、玄関脇にきちんと正座して、父を見送るのであった。
その後方で、妻(錫)の傍らに、ちょこんと座った人形のような幼子が英次郎だった。
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追憶_「風」をみていた弟
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兄_恒太郎と、弟_英次郎
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この子、英次郎にとっては、或る日突然異変が起きたのではなかった。
それが、兄と彼を塗り分けた。
恒太郎は或る日突然、黒船を見た。猛々と黒煙を吐いて、
轟音を発する黒船。驚嘆した人々が口々に叫び、
犬が吼え、馬達が脅えて嘶いた。長男として生まれた彼は、
その瞬間を記憶している。
そして、彼は、幼いながらも状況を聞くなり、怒りに震え、小さな拳をきつく握り締めていた。
その実、強くたくましく、誇り高き浦賀同心の子として育っていった。
対して、三歳違いの英次郎はそれがない。
よちよち歩きを始めた頃、すでに動乱だったのだ。
この子は、もともと平穏を知らない。清らかなる野山。鳥たちの歌声。
全て、無縁の世界だった。
動乱がごく日常であった。
いいかえれば、慢性的に「日常としての動乱」がそこに居座っていた。
大きくつぶらな瞳。清く澄んだその目。
それでいて、若者特有のきらきらと輝くものがない。
絶望感に沈んだうつろな瞳ではない。限りなく澄み切って美しい瞳なのだ。
瞳の中には、煌きのかわりに、なにか祈りのような灯火がふんわりと浮かんでいる。
極めて穏やかなその視線は、いつも、目には見えぬはずの『風』を見ている。
遠く、彼方にそよぐ風を見るともなく、見つめているかのようだ。
或る日、肝を煮やした恒太郎がついに、それを指摘した。
「英!聞いているのか!さては、そなた、この兄の話を
聞いてはいまい。この大切な時期に、そなたは一体、何を考えておるのじゃ!!」
驚いた英次郎が、ただちに謝罪した。しかし、・・・・
「兄上、お許し下さい。私は、なにも、そんなつもりはござりませぬ。」
恒太郎はカッ!となった勢い、弟が幼いことも忘れ、強烈に責めあげた。
「気が散っておるのじゃ。そんなことで、よくも中島家の子と申せるものじゃ!
されば、申してみよ。この兄が今教えたこと、全て諳んじてみるがよい!!」
英次郎の澄んだ瞳の中から、微かに揺れていた小さな灯火すら消えてしまった。
悲しみに沈んだ大きな目。しかし、不思議なことに、泣くのかと思えば、
涙の一滴すらこぼさなかった。兄は驚嘆した。
次の瞬間、彼は幼児には難解極まりのない長編の
漢詩を朗々と、最初から最後まで息も突かずに
一気に諳んじてみせたのだった。
しかし、兄は、別途、さらに驚いた。
それは弟の表情だった。
見事な出来栄えだったというのに、この子は、
べつになんら、優越感を滲ませていない。
兄への挑戦的な態度もなければ、反発もない。
そこには先刻と同じ表情の弟が大人しく正座している。
その澄んだ瞳は、遠くの風を見ていた。
呆然となったのは、むしろ兄のほうだった。・・・遠くで、調練の音が鳴り響いていた。
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失落の父、罪の己
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(浦賀時代の追憶場面が続いています。)
よくできた長男、恒太郎は、父が帰宅すると、逐一報告を怠らない。
てきぱきと報告をして、父の体を労う機転も損なわない。武士の子として、優秀そのものだ。
「父上、英の学力は、もはや、この恒太郎が及びませぬ。」
彼は、弟が長編の漢詩を見事全部諳んじたことを始め、弟の優秀さを伝えた。
恒太郎は正直者でもある。父の留守中、弟と己の間に起きた事、己の良いように綾をつけることなく、
不始末を詫びた。弟の女児のような優しい視線が気になり、きつく叱った己に対する裁定を仰いだ。
中島は、容赦なく、恒太郎をガミガミと叱りつけた。少年、恒太郎は頭を垂れて父の叱責を
素直に受け止めていた。
何につけても煩く躾されて、長男であるが故、必要以上に叱られてばかりの恒太郎。
しかし、彼は真っ直ぐに伸びた。父を恨むどころか、その度に逆に、父との距離がどんどん接近
して、互いの信頼感が増す一方だったのだ。
中島は長男を育てることにより、実はその正反対に、父としての己を、
この長男に育てられたようなものだ。
■水盤に咲く「生け花」の美
しかし、英次郎は、どことなく、とりとめのない男に見えてしかたない。
喘息の気がある以上、あまり無理をさせられない。しかし、それは自己への口実だったかもしれない。
今思えば、多忙の極みにつき、武士の子としての実質的な養育は恒太郎に一任していた。
養育もなにもない。小姓にもなれぬ幼い少年に、幼児を育てさせたようなものだ。
子の成長に伴い、重要事の連絡は万事、父と長男の間で行われた。
英次郎は己を弁えて、しゃしゃり出てものを言うことはいつも慎んでいた。
優秀の極み、神童のような英次郎。彼は時勢の下敷きだった。
いつも慎み、父になりかわって幼い折より一家を切り盛りした兄を尊敬して、兄に負担をかけては
ならぬとたえず注意を促す母の言いつけを頑なに守った。
多大なる可能性を秘めたこの少年の凛々しいその姿。
それは、水盤に生けられた「生け花」の美に似ている。持って生まれた雑多な葉や茎はことごとく、
切り除かれて、全く存在しない。人為的に生成された美。英次郎を見ると、ふとそれを連想してしまう。
或る日、恒太郎が涙ぐましい事を言った。
「父上、英はただものではござりませぬ。浦賀は、この恒太郎が、不束者ながら、
精一杯守ります故、英はどうか、留学生として、お父上、なにとぞ・・・!」
恒太郎は弟が時代の下敷きになったまま、能力を埋没させてしまうことを誰よりも悲しんでいた。
なにもかも、時勢に埋もれて消えた。
英次郎の留学は、戊辰の嵐に消し去られた。
論より証拠。今、彼、英次郎まで、この群れの中に居るではないか。
失落の父、罪の己。
中島はこの子への罪悪感を、拭っても拭いきれない。
■動乱の徳川の臣、中島家に咲いた一輪の花
動乱のまっ只中、浦賀同心の中島家にも、嵐が吹き荒ぶ。
父の影響をそのまま被った長男。本来なら学に花を咲かせてやりたい次男も皆、戊辰の犠牲者だ。
しかし、そんな中で、中島家に、一輪の花が咲いた。
それは、末っ子、与曾八の誕生だった。(生:慶応4/2/19=1868/3/12)
下男達が興奮して走り回る。
「お生まれになられましたぞ!無事、元気な赤子でござる!」
誰もが歓喜した。
「それはそれは、元気な男のお子でござる!お見事、男児でござります!!」
家の下僕達は皆、感激のあまり、涙に泣き濡れていた。
中島は、涙ながらに妻に心から礼を述べた。高齢出産につき、医師が付き添う大事態だったのだ。
「なにもかも、そなたの手柄じゃ!錫よ、錫、感無量じゃ。よくぞ生んでくれた・・・」
この生まれたての赤ん坊、与曾八は、それと知らずに、なんと兄の英次郎に
活性の蒸気を送り込むこととなった。
■赤ん坊、与曾八の大事件?!
或る日、疲れて帰った中島。
この頃、彰義隊は上野の山に籠もって暴れている。甲州鎮撫隊は有名無実。新撰組の近藤勇は
捕らえられて無残にも斬首となった。江戸の町には薩摩弁や長州弁が、そこらじゅうで聞こえる。
中島は「沖の釜次郎(=開陽乗艦中の榎本)」とコンダクトをとっていた。
身も心もくたくた。許されるなら、たちまち布団に直行して、そのまま泥のように眠りこけたい
ところだ。飯も風呂もどうでもよい。ひたすら眠りたい。
しかし、そうはいかない。なんといっても与曾八の顔を見てからでなければ、眠れないのだ。
帰宅と同時に、中島は、与曾八を連れて来るように女中に命じた。蓑虫のように
衣に包まれた嬰児、与曾八。女中から衣ごと受け取るなり、眠っている子を
起こしてはならぬと知りつつ、我を忘れて、頬ずりをした。
たちまち、赤子が目を覚まし、激しく泣いた。
「よし、よし、よし・・・・良い子じゃ、良い子じゃ。」
この年になれば、中島も子に対して、かつての己とは全くちがう。
阿呆のように溺愛するもよいが、たちまち、事件が起きた。
「おう、おう!!与曾八や!誰か・・・!」 慌てて女中達が駆け寄ったものの、手遅れだった。
「与曾八や!困った子じゃ。父の衣をどうしてくれる?ん?」
この時、中島の顔は泣き笑いに近かった。着替えもせずに子に駆け寄った己の手落ち。
上等の外着は、なんと、赤ん坊のお漏らしにびしょ濡れだ。
それでも、中島の笑顔は全く衰えようとはしなかった。
「よし、よし、よし、与曾八や!そなたのせいではないわの。この父のせいじゃの?!」
この騒ぎには、一家全員どころか、それに加えて、女中も下男も皆、集まっていた。
しかし、ついに皆、堪えきれず、一斉に吹き出した。
久しぶりに中島家は、平和の笑いの空気に包まれたのだった。
■次男_英次郎、大人の仲間入り
笑いの渦が一段落した段階で思わぬ者が、ふと冗談を言った。
「父上、父上はやっと、本当の父上にお育ちになられましたなぁ・・!」
振り返ると、それは、以外なことに、恒太郎ではなく、英次郎のほうだったのだ。
中島が仰天する間もなく、兄、恒太郎が速攻で父の仇討ち、反撃に出た。
「英!これっ!お前こそ、一丁前に、ずいぶん兄らしくなったではないか!
なんと、近頃では、父上に向かって嫌味を抜かすほどに成長したか?・・・」
言い切る前に、当の恒太郎は笑い転げて、畳の上に突っ伏してしまった。
突っ伏した原因に思い当たる節がある。中島も負けてない。
「恒太郎、そなたの腹の内、ついに見たり!おぬしも英に同感であるまいか?!」
「・・・・!!!、ひ、否定は、もはや致しませぬ。今の父上は、いつもの父上らしくござりませぬ。
父上は、可愛い与曾八に、もうすっかり、まいっておられる!」
畳の上にひっくり返ってしまった恒太郎は、とうてい立ち上がれない。
中島は、自分のことながら、笑いすぎて、ついに涙が出た。
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こんな平和が永久であればよいものを・・・
ぐしょ濡れの衣服のまま、
中島は、そう願った。
皆が笑っている。妻も娘も、笑った。
女中も下僕も皆その笑顔が輝いていた。
ふと、遠くで砲声が鳴った。
上野の山で、また、なにやら小競り合いがあったのだろうか。
・・・・
中島の意識の中、今日の昼間、初に蝦夷についての構想を中島に
打ち明けた榎本の顔が脳裏に蘇っていた。
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うたたかの夢
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中島三郎助と蝦夷桜
No.1 <No.2<No.3<No.4 (現在の頁)<No.5 <No.6<・・・No.12(完) |
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文章解説(c)by rankten_@piyo
イラスト写真については頁最下欄 |
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薫風館:和風イラスト |