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ブラキストンと箱館戦争,幕末_No.1

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箱館戦争とトーマス・ライト・ブラキストン




サイトTOP幕末_WITH_LOVE玄関_箱館戦争の余波<箱館戦争とトーマス・ライト・ブラキストン
<No.1(現在の頁)<No.2
箱館戦争とトーマス・ライト・ブラキストン_No.1
ブラキストンの発言「今は食事の最中!」
箱館戦争脇役者達SERIES トーマス・ライト・ブラキストンの素顔:No.1(現在の頁)<No.2




箱館戦争の貴重な資料のひとつ、『苟生日記』の
著者である 杉浦(赤城)清介が、書き残した。


「あやつは、ろくでない男!
要注意外人じゃ!」


それが、この男、
トーマス・ライト・ブラキストンだった。
それもそのはず、彼はイギリス人で、もと軍人。
クリミア戦争に参戦している。
当然、新政府の味方。





大抵の一般外人さんは、榎本軍団が押し寄せた段階で避難している。
国に引き挙げた者もいれば、各国の軍艦が一時的に保護収容館となり、そこに
避難待機している者も多い。

ところが、ブラキストンはどんと腰を据えたまま、一向に動こうとはしなかった。


彼は業務上、中国調査の帰り道にひとたび、箱館に滞在。
1861年のことだった。一時帰国した後、1863年、再び、箱館にやってくると、
そのまま住み着いた。元軍人であったものの、気質は探検家であり、功績は学者としてだった。

この箱館の地に、妙に興味が沸いたのだろう。
後に、動植物の分布境界線として、あの有名な「ブラキストン線」を提唱。
津軽海峡を限界に、動植物の生息が、がらりと切り替わる。
最も解りやすいのが、やはり、蝶々や小鳥だろうか。それとも、ヒグマか!?
いずれにせよ、今日にもその功績は名高い。

そんな彼は、なりゆき、研究のかたわら、生業として、貿易商、製材商を開始した。
損得にはあまり執着がなく、正直。だが、剛直。気に入らぬ人物は寄せ付けない。
彼を味方につければ、実にたのもしい。
力もあれば、金もある。それになんといっても親分肌だ。
箱館の商人の幾人もが、そんな彼に接近を狙うが、そう簡単にはいかなかった。

たのもしい男だが、ひとたび気に障ることをやらかせば、その実、ぶっ飛ばされた。
癒着ともいわれ、皆に妬まれた男、豪商、柳田藤吉が、そのいい例だ。(柳田藤吉について)

この男は、すっかりブラキストンに気に入られて、お屋敷を自由に出入りする。
お金の融通という点でも大分世話になったし、彼の商売自体が、いわば新興産業、
異人仲買人といって、交易で儲けた。永年の伝統、北前船に、一人忽然と
反旗を翻し、独自のルートで、本州方面と蝦夷方面を行き来しては、
それぞれの特産物を売って富を得た。

箱館戦争のドンパチの際、商人達にとって、もっとも恐ろしかったのは、
己の命以上に大切な蔵だった。ひとたび、ドカン!と砲が降れば、
長年の苦労は水の泡。

そこで、柳田だけは特権を得た。ブラキストン家の敷地内に、全ての宝財を
保管、保護してもらった。運べないタイプの商品には、ブラキストンマークを
付けさせてもらった。

ここは外人の所有物だぞ!とばかり、国旗が挙がった建物や所有物には、
絶対砲撃されない保障があったからだ。
(たとえ食料等でも外人マークなら押収されない。)

幕府時代から、ずっと日本人は皆、外国への弁償金で酷い目にあってきた。
そもそも幕府の屋台骨がぐらついた最大の理由は、攘夷気違い達による度々の
外人斬り事件の弁償金。桁が違った。そんな経緯から、この風にはためく
異国の旗、その威力とは、水戸の御紋章どころでない。

そんなわけで、柳田だけは、この強い親分、ブラキストンのおかげで、
全く被害を蒙らなかった。

ところが、その彼でさえ、酷い目にあっている。文字通り、ぶっ飛ばされた!
しかも、ぶっ飛んだ場所が最悪。
北海の冷たい海に、突き落とされて、泳がされた。
死の寸前だったのである。


ブラキストンは、気に入らぬ発言を聞けば、相手が誰だろうと、許さなかった。

それでも、柳田はくっついていたところをみると、素直に詫び、許されたのだろう。
そんな訳で、他の商人達は、真似がしたくとも、ちょっとやそっとでは、
手出しができなかった。


榎本達、幕軍にとってのブラキストン


前述の『苟生日記』の著者 、杉浦(赤城)清介が、

「あやつは、ろくでない男!要注意外人じゃ!」と露骨に非難したのも、
まあ、立場かわれば、まさしくそのとおり。頷ける。

ブラキストンは、チマチマと妙な小細工をこくような男ではない。
はっきりしている。念頭にあるのは、ひとつ。正か悪か、それだけでしかない。
運悪く、榎本軍は、彼の観念に於ける「悪の存在」に該当していただけのことなのだ。
自国イギリスが賊と見なす相手だから、迷わず賊であり、悪だった。


おかげで榎本軍、初戦から、痛い目にあっている。
折角わざわざ辺鄙な場所、鷲の木に上陸したというのに、あっちゅう間に情報が漏れた。
彼の持つ船が、現場を通りかかり、速攻で、箱函館府の清水谷公考に報告してくれた。
「賊共、ついに、鷲の木に到着!」

船だから早い。強烈に早い。翌早朝には、段取りが組まれた。
その由縁は、このブラキストン。そりゃ、杉浦が怒るのも無理がない。

この行為は何かと分析すると、今後の自分の生業を新政府に支持してもらうための
ゴマスリでもなければ、ご褒美の請求でもない。
彼にとって、榎本軍=悪!だった。それだけなのだ。実に、変わった男である。
褒められても、感謝されても、子分になる気は、さらさらない。

彼のこの功績で、被害にあったのは榎本軍だけではなかった。
命掛けで報告を急いだ男、荒井信五郎も、その使いで冬の峠道を、延々何十キロも、
風のような勢いで走るを強要されたアイヌの青年も、皆、その功績は消えた。
名誉だけでなく、彼らは二人とも、運悪く、命まで落とす宿命となった。

アイヌの青年は多分・・・:彼ら独自の冬道具、太めの一本スキーのようなモノと、
これまた、一本ストックのセットを使ったのではと思われる。滑れるし、歩けるし、担いで
斜面も比較的楽々登れる。ぬかるなら、履いたまま登れる。それに素人が真似すると、
命取りになる川辺の道ルートを使える地理感と生活経験がある。水の流れとは、
即ち、最短距離でもある。

榎本軍の機密がボロボロ漏れるのは、一回、二回のことでない。
ブラキストンは、逃げずに箱館の陸にデンと居座っている以上、榎本軍の行動は全部見えている。
逐一、新政府に筒抜けだ。即ち、榎本軍にとっては、最悪の間諜。

ところが、前述のとおり、ブラキストンにとっては、正義を愛するが故、それだけだった。


直前の彼を回顧_熱い冒険魂の男、ブラキストンの実証
極寒のシベリア横断_それが新婚旅行




30歳の時、彼は結婚した。妻の名はエミリー。
ちょっと年上。しかも寡婦。
随分激しい性格の彼なのだが、見かけと裏腹、
甘えん坊の習性もあるようだ。

新婚旅行とは、これが凄い。シベリア横断である。
ツンドラ地帯を犬ぞりで駆け抜けた。
息も凍る極寒の地。されど、二人の愛は熱く燃え上がる。

エミリーにとっての夫、ブラキストンは、結婚するや否や、脱サラ。
その上、突然、冒険旅行に行こうと言い出した。
それがハネムーンだと言う。

かつての彼女は、あくまで女でなくてはならなかった。
そして妻でしかない存在。型に填められたまま、
人形のように、じっとしているべき存在、
それだけを強いられてきた。

そんな彼女は、今の夫について行く限り、
そこには新しい自分がいる。
自由に豊かに、羽ばたける。絶望と諦めの世界とは無縁だ。今、放たれた。
寡婦といっても、まだ若い。冒険と聞いて、ときめいたのだった。

されど、あっけにとられて、思わず絶句した。冒険とは、よりにもよって、それは極寒のシベリア。
型破りな男、ブラキストンは、とても一言では言い尽くせない男だった。
未知の大陸シベリアという言語以前に、この男自体が、まるで超人か怪物に見えてならない。

そのまま、異郷の彼方へ自分を連れ去ろうとしている。
異国は異国でも、それは日本。そして、日本の中でも、わざわざ未開同然の蝦夷へ行こうと言う。
蝦夷と聞いた時は、さすがにギョッ!とした。絶望の原野シベリアよりも怖かった。
しかし、その蝦夷に、彼はかつて数ヶ月滞在したことがあるという。少しだけ心が揺れた。

エミリーが、それらを拒む間もない。彼の愛は、ぐいぐいと、彼女を強引に引き寄せてしまった。
それは、あたかも地球の磁力のごとく。怖いようでいて、やるせない。
けっして抗うことのできぬ強い力に身を任せ、じっと目を瞑った。

正義感の強い彼は、時には猛烈に激怒する。しかし、それはあくまで、正義のためなのだ。

身長2メートル以上あるブラキストンは、大柄であるだけでなく、驚異的な健脚の主。
エミリーにとっては夢物語のような冒険の世界をいつも語る。
そこには、世界中の大渓谷をたった一人で気丈に歩き続けた彼の姿が、
ありありと浮かんでくるのだった。

行動力に優れ、知識も豊かだ。彼の語る話はいつも熱い。
時には悪魔のような力でエミリーを抱き寄せたりする。

妻、エミリーは、このダイナミックな男に、きっと、怖いほど痺れてしまったのだろう。
彼になら、きっと、どこへでもついてゆける!たとえ目を瞑ったままとて、彼なら、きっと大丈夫。
強く握り締めたこの手を、引っ張って行ってくれるにちがいない!
・・・

シベリアの上空で、凍結した水蒸気が、轟々と音を発した。

冷却された大気は、ぐらぐらと揺れ動いて煌めく。
極寒の現象で、夕日が楕円形に歪んで見えた。
雪面に溶かし出された夕日の底辺は、
不定形な光の渦となって、
シベリアの大地を茜色に染めてゆく。

二人は、手袋を履いたままの手で、
ウォッカで乾杯した。
愛はますます熱烈なものになっていった。

その時、エミリーは、
雲間から差し込む細い光の筋を見た。



箱館の地、夢破れた砂の城_社長夫人、エミリー


異郷の地に降り立ち、内心心細いエミリー。
しかし、ブラキストンは有言実行の男。会社を設立するや否や、あっという間に利益を得て、
邸宅工事にかかった。ブラキストン・マル商会を設立した後、貿易も製材所経営も安定。
当然、はじめは借地、借家だったが、それは束の間。彼の能力は半端でなかった。

貴族階級のブラキストンとしては、最愛の妻には、たとえ異郷とて、
社長夫人に相応しい素敵なお屋敷に住まわせてやりたかったのだ。

ところが・・・だ!!
史実は具体的にその詳細をなんら語ってはくれない。
しかし、結果として明確なのは、悲しきかな、
新婚早々、この大邸宅が完成する前に、エミリーは祖国へ消え去った!!

行動力に優れ、人一倍正義感の強い男、ブラキストンの反面は、
つまり、激しい男・・・でもあった。怒ると、業務を疎かにした使用人を鞭で打つ。
気に触る発言をした男は、時には殴られる。当然、縁もそれまでだ。

そんな姿を見てしまったのかもしれない。


箱館戦争という名の竜巻


妻を失った彼は、人である以上、内面はかなり傷ついたにちがいない。
しかし、けっしてその本当の姿は、だれにも見せなかった。
行動が立証している。

あたかもマイペース、何事もなかったかのように、業績は鰻上り。
だからといって、血眼になって儲けに走ったりしない。
ビジネス的な改良には全精力をかけるが、ひとふんばりして、さらに儲けようとは
一切しない。気に入った男には、借りる側が気の毒になる程、あっさり金を調達する。

儲けよりも、安定した暮らしの中で、落ち着いて研究をしたいのが本音なのだろう。


そんな彼に、箱館戦争という名の竜巻が襲い掛かった。


ブラキストンは今日、日本では特に学者として知られるが、どちらかというと
血の熱い冒険家気質。
にもかかわらず、箱館で手広く商売をやってる姿が目立ったことから、さっそく、
新政府が目をつけ、あの男をなんらかの形で採用すれば便利に違いない!
早速、建白書もあがった程だ。その張本人が、箱館府TOP、清水谷公考。(清水谷公成1
清水谷公成2

しかしながら、何事にも靡くタイプでない。万事、マイペース。人が騒いでも、
いつも己は堂々としたものだった。

祖国イギリスからの司令が届いた。それには、即時忠実に従った。
国の主義に従い、新政府側の応援を開始した。積極的に、武器、石炭、食料など
注文に応じ、休む間もなく、動き回ったのだった。

その為、『苟生日記』の著者 である杉浦(赤城)清介に限らず、榎本軍から見れば、
誰しも、ブラキストンは、完全に敵の間諜と目に映っていた。

それでいながら、前述のとおり、本人には、その気はなかった。
自国に忠実であろうとも、異国の新政府に靡いて加担したのではない。
それが、後に災いを齎そうとは、なんら気付かなかった。


箱函館戦争の経緯、その各エピソードを読むにはこちら:幕末WITH_LOVE玄関(経緯順)_
ブラキストンの発言「今は食事の最中!」
食卓を突破した砲弾_ジョン・ウィル回想記




ブラキストンと交友関係のあったジョン・ウィル船長 は、
ジョン・ウィル回想記を残した。
彼は、ハーバル暗殺事件の日も、ブラキストン家で
被害者を含め三人で食事を楽しんでいた。

ジョンはこうして頻繁にブラキストン家に出入りする仲だった。


この頃、榎本軍の運命は既に見え透いていた。
沈黙の冬が明けて、雪解けと同時に、官軍が溢れ出た。

榎本軍の盲点、手薄な日本海側が狙われた。
官軍の大群は数知れない。あれよあれよという間に劣勢の榎本軍を呑み込んだ。

前年、1868(明治元年)11月に、榎本軍は江差の暴風雨で、軍艦開陽を失っている。
つい最近の宮古湾海戦(1869/3/25)には、大胆不敵な策に躍り出たはよいが、
結果は惨敗。官軍から見れば、それは榎本軍の自爆行為でしかなかった。

軍艦開陽に搭載されたガトリング砲は、海の藻屑。
最新の武器も数など知れている。その上、なんといっても財源が底をついていた。
金もなければ、武器弾薬も無い。

己の死を覚悟の上、いたるところで戦闘が繰り広げられては多くが散り果てる。
ブラキストンから見れば、それは、いかに勇敢か、忠義か知らないが、
負け犬の遠吠えにしか見えないのだった。

勝てる見込みなど、どこにも無いにもかかわらず、今だ、その自殺の連続を
やめようとしない。砲煙が立ち込め、箱館の空は5月だというのに、
不気味な鉛色に染められている。

そんな中、ブラキストンは極めて冷静な目で見つめていた。



兵士達が死のうと、民が焼き出されて泣き叫ぼうと、感情に押し流されたところで、
なんら、事はすすまない。彼は、ぴしゃりとその点、わりきっていた。

この邸宅には、イギリス国旗とブラキストンマークの旗が、堂々と、風にたなびいている。
膨大な量の木材と工場施設にも、遠方の海からも見える程、
巨大に描かれたブラキストンマークが焼印されていた。
砲撃を避けるためのいわば、御紋章である。



事件は、1869(明治2)年5月の極めて初旬のことだった。

ブラキストンは、朝食会と称して、友人のジョン・ウィル船長を自宅に招待した。

ジョン・ウィル回想記より、この場面概略

さればということになって、ブラキストンの勧めにあやかり、ジョン・ウィルは、
ブラキストン邸の食堂に入った。この食堂から、海を一望することができた。

沖合いには、我味方である新政府側が所有する軍艦、甲鉄こと、ストンウォール号が浮かんでいる。

既に我々は卓に着いている。そこへ、慌ててボーイがやってきた。
テーブルクロスを交換するためである。

その彼が、丁度、テーブルクロスを引き抜いて、新しいクロスを広げ、テーブルに
かけようとしていた瞬間のことだった。

その時だ!突然の轟音!振り返る間もなかった。

なんと、ストンウォール号が発した一弾が、港に停泊中のブラキストンの持ち船、
スクナール号に当たり、跳ね返り、それが、この食堂を直撃した。

瞬時のことだ。何がなんだかわからない。
しかし、目に映った光景はこれだった。
なんとその砲弾は、我々の目の前のテーブルの真上を滑り、丁度宙を舞う状態に
あったテーブルクロスをひっかけて、そのままクロスを奪い去り、クロスごと壁を
打ち砕き、裏の牛小屋に当たって爆発した。

砲弾は、我々の目の前のテーブルを滑って、ぶっ飛んでいったのだ!!
紙一重とは、まさにこのことだった。

たちまち、脅えた従業員達は皆、腰を抜かして、外に逃げ出した。

「早く、逃げよう!」・・・・私は彼を促した。(ここからは、二人の会話)

しかし、彼はこう言った。
「逃げるだと?断じて、私は、ここを動かない。」

対して、ジョンが言う。
「何を言う!いいから早く!」

「何のために逃げ出さねばならんのじゃ。」

「これでも君は、居座ろうと言うのか?一体、何の為なんだ!!早くしろ!」


ブラキストンのふてぶてしい発言、ジョンは度肝を抜かれた。

「はっ?何の為かと問われるか?
されば、お答えしよう。
飯の為じゃ!今、俺は飯を食っている。
食事中に離席など、けしからんからだ!
それだけだ!」

砕け落ちて、あたり一面飛び散らかった窓ガラス、
その窓越しに、彼は海を見つつ、堂々と食事を続けていた。

・・・・(回想記概略)




細かい事を言うなれば、ここで少々気になる点がある。
「食事を続けた」の描写から、テーブルクロス交換は、本来なら食事の前に済ますべきところ、
途中で汚れたなどの理由で、食事中にボーイを呼んで交換させたのか、それとも、
逃げずに留まった従業員に命じて、再び用意させたのか、そのあたりは不明。

しかし、流れからすると、どうも前者側が自然だ。
だとすれば、ブラキストンはその時、ボーイがクロスを交換する間、彼の作業が迅速に
片付くように、自分の目の前にある皿を持ち上げたか、パンを手掴みして宙に挙げた
状態だったことになる。

爆裂事件の真っ最中、何くわぬ顔して、パンを頬張っている彼の横顔が、目に浮かぶ。


ブラキストンの予言「今に上達するであろう。」
五稜郭被弾、屈辱の和平交渉


なりゆき、逃げたいジョンも留まらずにはいられぬはめになった。
当然、沖のストンウォールが気になって、冷や々する。

あえて冷静に考えるなれば、味方の艦船である以上、わざわざ再び砲撃してくるはずはない。
しかしながら、人は皆、こうした場面に於いて、理屈抜きで恐ろしい。それは当然のこと。

それだというのに、暢気にブラキストンが呟いた。

「下手糞め!今のところ、あっちのほうが余程マシだな。」

あっちとは、榎本軍を指す。ジョンが言った。

「あっちがマシとは、一体何のおつもりで、そんな不届きな発言を?!」

ブラキストン答えて曰く。

「マシとは、腕の話だ!論より証拠、あっちの連中は、今だかつて、
俺の宝財にぶち当てたことがない。その点、まだ、マシだと言っただけのことだ。」



ブラキストンは、もと軍人、しかも砲兵隊の将校である。
砲のことなど、知り尽くしていた。

暫し沈黙が続いた。二人の視線はおのずと、先刻砲弾を跳ね返したスクナール号に注がれた。
停泊中の浮力が幸いして、ふらふらとした船体は柔軟な状態にあったわけで、
まともに受けず、ぐらついたからこそ、偶然のようにぐんにゃりと跳ね返し爆裂だけは免れた。

そして、直撃されたも同然の物質といえば、テーブルクロス。
それも同様にぐにゃぐにゃとした物質。爆発の瞬間には、当然燃え尽きて消えたことだろうが、
ひっかけられて、砲弾もろとも飛んでいったことは、やはり、そのふらふらぐにゃぐにゃ状態の
物質ならではの特権とも言えた。

とはいえ、暢気に構えてる場合でなくなった。またしても、砲撃が始まったのである。
轟音の度に、ジョンは身の毛がよだつ。

再び、ブラキストンが言った。

「なに、もう少し練習すれば、今に、連中も上手くなるさ。」



ブラキストンの予言は当たった!!

ブラキストン家に誤って砲をぶち込んだ下手糞砲手。
しかし、その男の腕も、たちまち、上達した。

明治2(1869)年5月12日、箱館五稜郭が被弾した。甲鉄こと、ストンウォール号から
打ち込まれた砲弾が直撃したのだった。

この時榎本軍では、一頭の牛を屠り、皆で終焉の会食を行っていた。
五稜郭のシンボルともいうべき天辺の櫓が照準の的となったのだ。
照準が絞り込まれたのでは、遠方の海からでも、それは命中するはずだ。

末期の榎本軍。ついに究極ともなれば、やはり人である以上、突如思わぬ角度の
急変が発生した。その被害者とは、41人の中国人囚われ人、クーリー達である。

彼らは他国の船に乗せられ強制使役されていた。逃げたい一心で、
正規乗員を皆殺ししてしまったのである。犯罪を犯してしまった存在であることから、
自国にそのまま帰すなれば、国際的非難も受ける。さりとて、彼らを収容できる施設
といえば五稜郭の牢ぐらいしかない。捕らえたのは、榎本軍ではなく、
松前時代から新政府が五稜郭入場早々のできごと。
いわば置き土産として、五稜郭内の牢屋に置き去りにされていた。

そんな彼ら。それまでは、たとえ囚われ人の立場といえども、榎本軍では、
比較的人道的な形で扱いを為し、食事も大量に与えるなどして、労働分野に貢献してもらっていた。

しかし、この瞬間に扱いが急変したのだった。
突如牙を剥いたも同然の仕打ち、抜刀して彼らを強要した。照準の的となっている櫓を
打ち砕かせぬことには、連発被爆して全滅の危機だ。彼らは、脅されて天辺に登らされた。

彼らの一人が、みごと打ち砕いた為、全滅を食い止めることができた。

とはいえ、この瞬間、榎本軍では多くの犠牲が出た。
皆が会食中だというのに、休む間もなく土塁工事の指揮に
あたっていた工兵隊、副長の松村五郎他が、この時の涙ぐましい犠牲となった。
哀れクーリーも一人も亡くなった。

なんといっても最大のダメージは衝蜂隊隊長の古屋佐久左衛門が
再起不能の重症を負ったことだった。死が必須となろうことは、
その瞬間に、本人を含め、皆が痛感した。

榎本は、はらはらと涙を溢し、担架に乗せられた古屋本人は、
志半ばのまま、皆よりも先に逝く負い目に泣いたという。

「総裁、つまらぬところで、こんなことに・・・申し訳ない。」

・・・僅か数日後、逝った。

(■古屋佐久左衛門と弟:医師_高松凌雲、■高松凌雲1、■高松凌雲の怒り2
高松凌雲4、■高松凌雲5





旧北海道庁、赤レンガ、天辺のシンボルに思う。

天辺にあるあの丸いドームのような形の小さい屋上、そこには旗が風にたなびいている。
旧庁舎は、不運にも数回焼け、建て直しが行われているが、古写真で数点確認すると、戦争中、
一時的にこの天辺シンボルが取り除かれていた時期がある。その理由についての資料を
発見したことはないが、どうも、この五稜郭被弾時の教訓に思えてならない。被爆の目印を
一時的に消去していたとという発想は・・・考えすぎだろうか?

為るべくして、事為り止む
榎本武挙達の半年の夢、終焉



1869(明治2年)春、彼は完全に、拍子抜けした!!


来るなら来い!時来たれば、こちらにも覚悟はある!
ブラキストンが、そう決心していたわりに、榎本軍はあっけなかった。

榎本旋風、箱館近郊では、あっちこっち火事が多発。
半年の間に、いたるところで戦闘が巻き起こり、敵味方共に大勢が死んだ。

しかし、それは、なんといっても、僅か半年、1868年10月、鷲の木に彼らが到着。
それを新政府に伝えたのは、他の誰でもなく己なのだ。それから一冬を越しただけ
だというのに、春が終わる頃、1869年5月、完全に沈下された。

元軍人だったブラキストンに言わせれば、これはあまりにもお粗末だったという。

あっけなかった。いうなれば、何も起きなかったのと同じだ。
それが、ブラキストンの発想である。たとえ沈下されても、何かが変れば、
それは功績だ。しかし、何一つ変ることなく、あっけなく消え去った。

箱館の町に、累々と幕軍の遺体が、転がっている光景を何日もの間、見続けた。
たとえ、いかに哀れとて、賊を葬れば、斬首の刑を免れぬ為、誰しも
放置せざるをえなかったからだった。

己の死を覚悟で、賊軍の屍を葬った柳川熊吉が現れるまで、
ブラキストンはその景色を、毎日冷静に見続けていたのである。


やはり、この男、只者ではなかった。



トーマス・ライト・ブラキストンの素顔:No.1(現在の頁)<No.2
next_car箱館が函館に変わってゆく頃

二つの函館と、もう一度生まれ直した第二のブラキストン

文章解説(c)by rankten_@piyo、
写真等、素材については頁下表示


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Blue Moon:オーロラ,刀,空


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