テーマ:ニュースを考える(63)
カテゴリ:考察
ここ数年、今までにない重大な、あるいは身勝手な事件や事故などが多発しているように思います。何故こんな事件や事故が起こってきたのかその理由や訳を考えてみました。
まず、いくつか事件を挙げてみます。 車に3キロ引きずられ会社員死亡 大阪府警、ひき逃げで捜査 秋葉原通り魔事件 大阪の個室ビデオ店放火、犠牲者16人全員の身元判明 岩手・宝くじ殺人 逮捕の容疑者「首しめた」供述 なんだか調べているだけで気が滅入ってきます。比較的、最近の事件を挙げていますが本当はここ半年の間に起こった事件をと考えてましたがうまく検索等ができませんでした。 他にも死刑執行が鳩山法相の元で随分、急に←?執行しているようですが実際には効果が出ているとは感じられません。 上に挙げたものやニュースで報道している最近の事件の因果のほとんどが言ってしまえば、常識の崩壊にあると思うのです。 では、常識の崩壊ってなんなのかという疑問がでると思いますが常識とは日本の「暗黙のルール」「社会通念」などが合わさったいうなれば人と人の繋がりのこと指しています。この人と人の繋がりが崩れれば、当たり前のことが崩れることと同議です。例えば、偏った人々と付き合え続ければその人達、あるいはそこの常識に染まることでもあるのです。(これは悪いことばかりではないのですが)具体的な悪い例を挙げるとカルト教団(オウム事件が最悪な例)の洗脳、暴力団などなど。 上の事件の犯人達が供述に「誰かに止めて貰いたかった」「世の中に絶望した」(少し記憶頼りに書いてます)とあります。この事件って実際のところ、どこにでも起こり揺るものではあるけれど、彼らが当たり前の人間関係を構築できていればこんな事件に発展する前にそういう感情―不平、不満、閉塞感―はただの愚痴レベルで終っていたのではないでしょうか。 今の社会で下流に位置する人々はその日を暮らせるかという状態にいると聞きます。そんな人達に人と人の繋がりを維持する余裕を作るのは無理です。故に鳩山法相が死刑執行をどんなに行っても、その情報が事件を起した―起さざるおえなかった―犯人達に伝わることはないでしょう。 そして、そういう(生きる死ぬか)状態の人達(こればは他人事ではありません)には生きる事がまたは、その状態を脱する事が正義になります。これをどうにかするのは並大抵の努力、尽力では叶いません。私達すべてがこれと戦うのではなく、立ち向かわなければどうにもならない社会になってしまうでしょう。理不尽な事件の被害者にならない、増やさないためにもです。 実際、それの悪い例がアメリカだと思います。ただ、あの国が(今の所)旨く回っているのは巨大な国土ゆえなのでそれを真似するのは日本には無理だ。 ブログでこの話題に少し関係があるし興味深い意見があったのでよかったら見てきてください。 大学職員の「非まじめ」日記 死刑制度の賛否 心象素描 鳩山法相の死刑制度見直し発言について お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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