テーマ:ニュースを考える(63)
カテゴリ:考察
犯罪被害者の冷遇を改善せよ
昔からおかしいと感じてた制度があります。それは少年法と精神鑑定です。 軽犯罪と重犯罪では、感じ方が違うとも思うがとりあえず、軽犯罪は今までどうりで構わない。それに重大さ、重要さによって分けて考えなければ進まないことでもないかと思う。 ちょっこと蛇足をコンビニ店長としては窃盗(万引き)は軽犯罪なれど、その罰則と捜査の強化をせつに望む。何故って、万引きの被害総額がスーパーは一ヶ月に100万円になると潰れる。そしてコンビニの場合、10万~20万で潰れるからです。…蛇足が過ぎました。話を戻します。 重犯罪の場合、事件報道で知るのはほぼ、殺人です。そのことを考えると上記二つの法の不備がいくつかあります。 被害者傍聴制度がスタート=少年審判に遺族、15日から-教育機能への影響指摘も まずは、少年法からです。 昔から指摘され続けた問題を取り上げるので「今更かよ」と思われるかもしれませんが一部改正が行われたので。少年法の問題点とは大きな括りで言えば、『やり得観』な点です。 『被疑者の匿名性と加害者の将来』の保持の仕方です。 故意による殺人―未必の殺意なども含む―を犯した少年に対して『加害者の将来』をもって保護するのならば当然、『被害者の未来』を強奪した報いか償いを求められるのも当然ではないでしょうか? 被害者や遺族が審判を傍聴できるようになりましたが「健全育成を妨げる恐れのない場合に限る」という例外があります。これがどこまで適用されるかは現時点では解りませんがこうやって締め出す場合でも審判の内容を聞くことができるようにはするべきです。さまざまな方法―別室で聞く―が考えられますから。 子供と大人では責任(権利と義務)の大きさが違うためなのは判りますが、起したことの結果はどちらも変わらないという点も忘れてはいけないと思います。 米兵精神鑑定へ タクシー運転手殺害 少々、上記の記事の選択に問題があるとは思いますが最近上がったのを探したらこれだったので。 精神鑑定の必要性は認めますが(何故やどうしてなどの社会的な意味において必要だと考えるからです)、それと責任能力を結びつけるなら、同時に社会生活の制限も必要でしょう。 精神鑑定の結果、無罪や棄却がありますがその主な理由として責任能力の欠如が挙げられてますが私としてはどちらも納得がいかないものです。起した結果が明らかなのに、その加害者は保護観察処分等になるにしてものうのうと社会で暮らすことが簡単にできることに納得できないし、怖い。 そのためこんなのを考えてみた。治療の結果、社会生活をおくるのに問題ない状態に回復したのなら、治療の期間を差し引いて刑に服するというのはどうでしょうか?これなら精神鑑定の悪用などに対しても有効ですし。 「死刑囚に会うの無理ですか」娘を奪われつらさ伝えたい遺族 私が一番言いたいのはどんな立場の加害者でも結局、社会や被害者にとっては起こした結果は変わらないということです。異常や未熟を理由に重犯罪者の犯した罪の追求を緩めるのは不条理ではないか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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