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2006.11.23
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カテゴリ:世界史
インド洋世界の中心に位置するインド亜大陸は,古来,地中海から東南アジア・中国までを結ぶ東西交通の結節点をなし.また,中央ユーラシアとも,南北にのびる陸のルートを通じてつながりを持ち続けてきた.以上の背景をふまえて,次の設問に答えなさい.

問(1) インド亜大陸へのイスラムの定着は海陸両方の経路から進行した.そのうち,カイバル峠を通るルートによる定着過程の,10世紀末から16世紀前半にかけての展開を,政治的側面と文化的側面の双方にふれながら4行以内で説明しなさい.

問(2) インド洋地域で,イギリスやフランスの東インド会社は,インド綿布を中心にした貿易活動から植民地支配へと進んだ.18世紀半ば頃のイギリス東インド会社によるインドの植民地化過程を,フランスとの関係に留意して4行以内で説明しなさい.

【解 説】
世界史の勉強を始めようと思ったが,手がかりがないので現代の受験生が何を勉強しているのかを知るために入試問題を探ってみた.上記は東大前期の問題の抜粋である.このようなイスラム圏周辺史まで勉強しなければならないのかと驚いてしまった.試しに最初の設問を調べてみた.

 カイバル峠は現在でもアフガニスタンとパキスタンの国境地域にある政治的軍事的な要衝である.問題(1)では10世紀末から16世紀前半の時期,すなわち10世紀末以降はアフガニスタンに本拠を置ガズナ朝による侵攻,12世紀後半からは同じくアフガニスタンに本拠を置くゴール朝が北インド侵入を繰り返した結果,北インド全域がイスラム勢力の支配下に置かれた時期を前半のハイライトとしている.将軍アイバクが1206年,デリーにインド最初のイスラム王朝である奴隷王朝を樹立し,デリー・スルタン朝によるインドイスラム圏が栄えた時期が後半である.1526年にはムガール帝国が成立しており,その時代までのイスラム国家発展の歴史を問うている.文化的側面というのが厄介で,単にイスラム教の勢力地図の拡大のみならず,インド,東南アジア,中国の文物や科学技術のイスラム圏への流入についても考慮しなければならない.
 紀元前のアレキサンダー大王の遠征でもなく,19世紀の英国のアフガン侵攻の時代でもない,10世紀末から16世紀前半のイスラム世界の勢力拡大と栄光の歴史を知ることで,それ以降の時代にアフガニスタンが大国の思惑の中で混迷の歴史を経験するに至る悲劇をクローズアップできる.
大人には現代イスラム史を概観するための良い問題とは思うが,18-19歳の受験生には難問のように思う.世界史を履修する高校生が萎縮するのも無理はなかろう.





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Last updated  2006.11.23 16:08:30



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