112845 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

やっぴい博物館

やっぴい博物館

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

やっぴい927

やっぴい927

カテゴリ

カレンダー

バックナンバー

2024年05月
2024年04月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月
2023年11月
2023年10月
2023年09月
2023年08月

コメント新着

 azjnqvfck@ aYlDzDnxiNk HCGpRh <a href="http://lzgspzv…
2007年02月28日
XML
カテゴリ:社会
 2/1のエントリーで書いた、各社社説を読み比べて、どの新聞の論調が一番薄弱かをせせら笑う、の巻である。

 昨日、新聞大手各社の思想性を計る上で、興味深い判決が下された。
 1999年、東京・日野市立小学校の音楽教師だった女性が、入学式で君が代のピアノ伴奏を拒み、都教育委員会から懲戒処分(戒告)を受けた。
 校長の憲法違反の処分によって思想・良心の自由が侵害されたとして、この女性が訴えを起こしたのである。

 結論は…興味のある方は、判決全文をコチラから参照していただくことにして…、

 当然の如く、請求棄却である(^_^)。正義は勝つ。

Good Job!
[遅きに逸した感がないわけでもないが、とりあえず]

 これは最高裁判決であり、司法の最終判断である。
 卒業式の国旗掲揚・国歌斉唱にまつわる訴訟は全国各地で起こされており、もはや社会運動化している、そうした一連の国旗・国歌訴訟の中で初めての最高裁判決である。

 上司から与えられた職務上当たり前の行為を、「私は気にくわないからやりません」と放棄すれば、懲戒は当然である。私のように、一般企業に勤務する普通の社会人の感覚からすれば当然である。程度の問題はあるが、解雇に繋がってもおかしくない。それを地方公務員であることをいいことに、居直っているとしか思えない。

 そもそも、この女性は「教師」とは何たるかを解しているのだろうか。もちろん、教師であっても、個々人に思想・良心の自由は憲法で保障されている。しかし、それと同時に式を粛々と円滑に運営することを一つの任とした地方公務員なのである。
 もっと本質的には、教師は生徒に対するロールモデルとして振る舞うべき存在である。それが、「その仕事は私の思想とそぐわないので拒否します」といって職務を放棄する姿を晒して、どうして教壇に立てるのだろうか。

Resistance for National Flag and Song
[卒業式のあるところ、政治運動の影あり。この判決で不毛な動きが制圧されるか]

 まあ、政治運動として反「国旗・国歌」思想を教育現場に振りかざしてきた一部の教師集団の末端、この痛々しいこの女性教師についてはさておいて、社説ウォッチャーとして、やはり判決翌日の社説はチェックしなければならないのである。

 ここでは、各社社説の見出しを取り上げたい。もしかしたら、新聞なんてどこも同じだ、と思っていらっしゃった方は、少々驚かれるかもしれない。
 論調は、こんなに各社によって違うのだ。

 日経:妥当な最高裁「君が代」判決
 産経:君が代伴奏拒否 最高裁判決は当たり前
 読売:「君が代」判決 「『思想・良心』の侵害はなかった

 毎日:君が代判決 「お墨付き」にしてはいけない
 朝日:国歌伴奏判決 強制の追認にならないか

 
 特に、興味のある方はサイトの社説ページに直接飛んで、朝日新聞の断末魔とくとご堪能いただきたい
 注:朝日の社説は、たった過去7日間だけしかストックされない。社説に自信がないからだろうか…という皮肉はさておいて、今回の社説は永久保存版である。

『5人の裁判官のうち、1人は反対に回り、「公的儀式で君が代斉唱への協力を強制することは、当人の信念・信条に対する直接的抑圧となる」と述べた。この意見に賛同する人も少なくあるまい。 』

 朝日ウォッチャーの方は気付かれたと思うが、本件の朝日の一連の報道では、この反対意見の付記をひたすらに強調している。
 というより、これだけが唯一のよりどころなのが哀愁を誘うわけであるが。

『私たちは社説で、処分を振りかざして国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ、と繰り返し主張してきた。 』

 ここからが、真の読みどころである。朝日社説のキーワードの一つ。「私たち」である。
 朝日新聞の綱領には「不偏不党」で報道に臨む、と書かれているが、それが虚偽であると自白しているのが、この「私たち」という主語なのである。この「私たち」が誰を指しているのか、朝日新聞社説の論説委員達なのか、朝日新聞全体としての意向なのか、それが明らかにされたことは一度もない。

 一部教師軍団の卒業式における、国家・国旗にまつわる不履行への処分については、この取り消しを求める訴えが全国で起きている。が、最高裁の判断がこれら一連の訴訟に大きな影響を及ぼすことは必至である。
 これを、教育現場の国旗・国歌指導をめぐる混乱に一定の歯止めがかかる、と期待するか…

『今回の判決で心配なのは、文部科学省や教委が日の丸や君が代の強制にお墨付きを得たと思ってしまうことだ。』 と、

 心配のしすぎではないか。

 と思えるほどの評価を下すかで、各社の思想が透けて見えるのである。

Misconception
[朝日の判決の評価基準は『朝日にとって都合のいい判決か否か』の一点に尽きる]

 朝日新聞は、自分に都合のいい判決が出た場合、たとえそれが地方裁での判決であろうが傍論であろうが(有名なのが、首相の靖国参拝について「違憲判断」を付した例である。翌日の社説の嬉々とした筆運びは見ごたえがあった)、「尊重すべきである」とか「この判決は重い」と、ことさらにその判決を持ち上げる。

 それが、その逆になると
『行政の行き過ぎに歯止めをかけるという司法の役割がますます重要になる。そのことを最高裁は改めて思い起こしてもらいたい。』
 と、偉そうに問題提起に至るのである。

 今回、最高裁が歯止めをかけようとしているのは、卒業式という厳粛な場に、己の勝手なイデオロギーを持ち込んで、教育現場を混乱に陥れようとする一部集団による暴走である。

 まっとうな報道機関であれば、この司法判断を重く受け止め、己の過去の主張が間違っていたことを潔く認め、その立場を明確にすべきなのである。
 最高裁判決が気に食わないからといって、それを矮小化して報じる(今回、このニュースを一面トップで扱わなかったのは朝日だけであった)のは、司法に対する冒涜である。いわんや、判決によってその扱いの大小を変えるのであれば、メディアが己の主張を広めんと、司法を利用していることになる。

 私に言わせれば、この判決は、主要各社が最高裁判決の翌日にこぞって社説を並べるような大問題ではない。常識的な範囲で判断すれば、解決できた問題である。

 それが、まだ常識でないこと自体が嘆かわしい(国家・国旗を尊重するよう教育現場で教えなければならない、という論はまた別に。でないと、どことは言わないが某近隣諸国のような傍若無人な振る舞いをすることで、世界から白い目で見られるのである)。

 そうしたわけで、しばらく朝日ウォッチャーは続けなければいけないようである。
 まあ、このツッコミ作業が楽しめなくなるのは寂しいので、しばらくこのままでいて欲しいのだが。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年03月01日 14時49分59秒
コメント(0) | コメントを書く
[社会] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.