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テーマ:いい言葉(576)
カテゴリ:文学・芸術
▼恋人と薔薇4(モード・ゴーンの人生)
![]() イェイツによって、理想のアイルランドやその誇りを象徴する「薔薇」にたとえられる独立運動の女性闘士モード・ゴーンとは、どのような人物だったのでしょうか。ゴーンの人生を振り返ってみましょう。 ゴーンは1865年12月、イギリスで生まれました。父親はアイルランドの裕福な家の出身で、英国軍の将校でした。母親はゴーンが4歳ぐらいのときに亡くなったので、ゴーンは妹とともにフランスに送られ、そこで教育を受けました。 1882年に父親がアイルランドのダブリンに赴任したのを契機に、ゴーンもダブリンに移り、父親と暮らすようになります。その父親も1886年に病死、多額の遺産を得たことにより、経済的に独立することができます。 ゴーンはフランスに戻り、そこで急進的なフランスの政治活動家ルシアン・ミルボワイエと出会い、恋に落ちます。二人は、アイルランドの独立とアルザス・ロレーヌ地方のドイツからの奪還のために闘うことを誓い合います。 ゴーンはその誓いを果たすためアイルランドに戻り、イギリスに捕らえられたアイルランド人政治犯の釈放を求めるなど、独立運動を積極的に支援しはじめます。そして1889年、若き詩人イェイツに出会います。出会いはイェイツの詩を気に入ったゴーンのほうから働きかけて実現したようですが、イェイツはゴーンの美しさと歯に衣着せぬ性格にすっかり魅了され、その魅力の囚われの身となります。ゴーンは、それ以降イェイツの生涯にわたり彼の作品に多大な影響を与え続けます。 イェイツのそんな気持ちとはかかわりなく、ゴーンは翌1890年に再びフランスへ戻ります。そこでミルボワイエと再開、恋を再燃させます。その一方で1891年、イェイツが入会している秘密結社「黄金の夜明け団」にイェイツの紹介で入団します。ゴーンは急進的な活動家でしたが、実は小さいときから神秘的な体験をしており、超常的な現象にも興味を持っていたようです。しかしフリーメイソンは、大英帝国の支配を助長するだけだとの考えから、ほどなく「黄金の夜明け団」を退団します。 ゴーンは1893~94年にかけて、ミルボワイエの子供を二人産みます。非嫡出子です。上の男の子はすぐに亡くなってしまいましたが、女の子イズールトは無事に育ちます。イズールトは1916年になんと、母親のゴーンに振られ続けているイェイツから求婚もされているんですね。母親が駄目なら娘でも、ということでしょうか。いやはや、恐るべし、イェイツの恋の執念! イズールトは母親同様、プロポーズを断り、後にオーストラリア生まれのアイルランド人作家フランシス・スチュアートと結婚します。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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