権利を守るもの・守らせるもの
私はアムネスティ・インターナショナルの個人会員なんですが,会員になるきっかけは大学の時の○○家の先輩が「自分の身を守るためには,自分が行動しないといけない…」ムネスティの会員になった理由を言われたことがずっと心に引っかかって…それから,私がアムネスティの会員になるのはだいぶ後のことですが,この言葉の意味をずっと考えるというか,自分に問いかけていたような気がします。以前の記事で人権についてほんの少しだけ私見を述べました。その中で「基本的人権を守る義務が為政者にはある」と主張したのですが守らせるのは,私たち主権者である国民です。そのことを忘れてはいけないと思うし,だからこそ,主権者を育てる私たちの責任は重いのだと思います。例えば12月10日は「国際人権デー」で毎年キャンペーン活動や様々な催し物が行われています。でも,ひねくれた見方をすれば,わざわざ日にちを設けなければ人権についての意識が高まらない…哀しい現実だと思います。ついでに言えば11月25日は「女性に対する暴力撤廃デー」だそうです…この25日までの2週間が「女性に対する暴力をなくす運動期間」で各自治体が取り組みを進めているらしいですが,基本的人権の軽視もそうですが女性に対する暴力も世の中に蔓延っている現実…それも日にちを決めて啓蒙活動を行わなければいけないように当たり前のように行われているという哀しい現実…そして,その現実を支えているのは私たち一人一人の意識…例えば,アムネスティの調査によれば 生涯を通じて少なくとも3人に1人、つまり10億人の女性が殴られたり、 性交を強制されたり、あるいはその他の虐待を受けている。 殺害された女性の70%は、男性パートナーに殺されている。 女性の5人に1人は、生涯を通じて強かん、または強かん未遂の被害者になる。 難民の80%は、女性と子どもであり、紛争地域の85%では、 女性と少女の人身売買が報告されている。 1日あたり6,000人の女性と少女がFGM(女性性器切除)を強制され、 合併症や後遺症の恐怖におびえている。 セックス産業に送り込まれるために、5歳から15歳の女児が毎年200万人、 人身売買されている。 もちろん,女性に対する差別や暴力は「世界人権宣言」や「女子差別撤廃条約」などで禁止されています。そして,このことは以前の記事で紹介した障害者を取り巻く差別の現実でも言えることではないでしょうか。そして,どんな差別であれ人権が侵害されている現実に終止符を打てるのは私たちです…決して一部の政治家の方ではありません。しかし,以前「死刑制度」について記事を書くときに自分なりに調べて勉強していく中で私たちの国の人権意識の低さを改めて感じましたそして,その責任の一端は私たち教育者にあると思うしだからこそ,伝えなければいけないと思うのです。なぜ,いじめがいけないのかなぜ,差別がいけないのか全てはいじめる側・差別する側も含めた全ての人に対する人権に関わるということを…←何かを感じてくれて,考えるきっかけになれば嬉しく思います。